キリストが渡来した村

新郷村、旧名 戸来村(へらい村)には、ダ・ヴィンチ・コードを遥かに凌ぐほどの
とんでもないキリスト伝説が残っている。

聖書によるとキリストは地中海沿岸のユダヤに生まれ、エジプトで父ヨゼフと母マリアと供に住み
その後再びナザレの村に移り住んだという。

21歳で行方が分らなくなり31歳の時に忽然と現れて、天国や神の実在を説いたとされている。
行方不明の間のことについては聖書に一切記載が無い。
ところが昭和六年に皇祖皇太神宮で発見された竹内古文書の中に、その空白の10年間の消息が記されていた。

古文書によるとキリストは十一代垂仁天皇の御代に日本沿岸の橋立(現在の石川県能登半島)に上陸し、
越中(現在の富山県)の皇祖皇太神宮の神主武雄心親王の弟子となり、日本の言葉や文字を覚え
様々な修行を重ねたという。
11年の修行を終えたキリストは33歳のときに日本を去り、モナコに上陸してユダヤへ帰り神の実在を説いた。

しかしキリストの教えは当時のユダヤ教の長老や学者たちの反対にあい、
遂には捕らえられて十字架にかけられてしまう。

竹内古文書のキリスト遺言書によれば、ゴルゴダの丘で十字架にのぼったのは
実は弟のイスキリ(聖書には出てこない)であったとされている。

十字架の磔刑を逃れたキリストは、弟子たち数人とシベリア・アラスカを経由して松ヶ崎(現在の八戸)に上陸した。
再来日を果たしたキリストは「八戸太郎大天空」と名を改め、戸来に住居を定めてからは「十来太郎大天空」とし
日本人を妻にして娘を三人もうけ106歳の長寿を全うした。


八戸の地名が出来たは、もっとずっと後のことではないか?( ̄□ ̄;

キリストは日本で布教には努めなかったものの庶民救済に尽力した。 白髪赤ら顔の鼻高でヒダの多いローブを着ていたことから、人々に天狗として敬われていたという。
  

昭和10年、皇祖皇太神宮の神主と歴史研究家たちが
竹内古文書の中で描かれた略図を元に戸来村を捜索したところ、
村の中心から少し離れた沢口地区にてキリストの墓が発見された。


墓と見られる盛り土は二つあり、ひとつはキリストの墓
すぐ隣にあるもうひとつは弟のイスキリの墓とされる。


この土地所有者の家紋がダビデの星のような形であることから、
キリストの子孫ではないかと推測されている。

この村には奇妙な歌も伝わっている。 「ナニャドヤラー ナニャドナサレノ ナニャドヤラー」という不可解な歌詞で、 村の人々も歌詞の意味は分らないままに盆踊り歌として代々伝承されてきた。 これが最近になってヘブライ語であることが判明し、日本語に翻訳すると次のような意味になると言う。

汝の聖名を褒め称えん、汝に毛人を掃蕩して、汝の聖名を褒め称えん

その他にも生まれて初めて家の外に出る赤子は、魔除けとして額に墨で十字を描くという風習も残っている。 また方言で父親を「アヤ」 母親を「アパ」と呼ぶそうだが、これは「アダム」と「エヴァ(イブ)」が 転化したものとされている。
キリストの里  伝承館額に十字を描いた赤子  人形が怖すぎる
色々と不思議なところはあるのだけど、どれもちょっと強引な感じが否めない^^; 私の判断ではこの伝説の信憑性は・・・・・・ 5%! ヘブライ語の歌や額に十字を描く風習が残っている事などを鑑みると、 キリストではないにしろ、海を渡りこの村に永住した外国人宣教師がいたのかもしれませんね。

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