夏の詩


「うっ……今日も暑いな」
公園のベンチに背中を預けて、空を見上げる。
そこには、雲ひとつない青空がどこまでも続いていた。
…だが。
その青空が、一瞬にして、奈落の暗闇へと変わる。

陽光の輝きが。

戯れる子供達が。

この世の全てが。



………なんの抵抗も許されることなく、消え去った。










「…だ〜〜〜れだ?」

背後から聞こえる声。
瞼に当たる暖かい手。
鼻孔を擽る甘い匂い。
「………」
今日はこれから茜とデートだ。
では、これは茜だろうか? 茜がこんなお茶目で『らぶらぶ』な真似を?
「……………」
否っ! 断じて、否っっ!! 茜がこのような真似をする筈がないっっ!!!
っていうか、してくれたら嬉しいような気もするけど、本当にやられたら怖いような気がしないでもない。
「…だ〜〜〜れだ?」
正体不明の謎の声は、ちょっと自分の方へ俺の頭引っ張ると、再びそう言った。
「……………」
…後頭部に当たる、控えめを通り越して薄い柔らかい感触。
ふむ……77センチ。椎名か柚木。
しかし、椎名ならば、必ず「みゅ〜っ♪」とか言うはず。
となれば、これは…。

「…何の真似だ、柚木?」

「あ? わかっちゃった?」
そう言うと、たった今、柚木の手によって壊滅させられた世界が、再び視界に戻ってきた。
「すごいね、折原君。どうしてわかちゃったのかなぁ〜。あ、隣座ってもいい? いい天気だね。今日も暑くなりそうだよ。こんな日は、海なんかいいよね。やだぁ、折原君のえっちぃ〜♪」
「…………………………おい」
「ん? なに?」
俺は一瞬にして、ちゃっかりと隣の空いているスペースに座って、まるで最初から一緒だったようにくつろぎまくっている暴走天使(ばくそうえんじぇる)・柚木に呼びかけた。
「なぜお前がここにいる?」
「あ。アイスクリーム屋さんだ♪」
「人の話を聞けえええぇぇーーーっっ!!」
柚木は相変わらず人の話を聞かなかった。
「なに〜? 折原君、さっきからうるさいよ?」
「………」
…俺か? 俺が悪いのかっ!?
「それで、どうしたの? 話があるなら、早くしてよね」
「…………………………」
…ごめん。……茜……由起子さん……。
俺、犯罪者になるかも………。
「ほらほら、早く詩子さんに話してみなさい♪」
髪を掴み、後ろの茂みに引きずり込もうと思った瞬間。
柚木ががいつもの笑顔でそう言った。
「………」
その向日葵のような笑顔を見てると、途端にいままでの怒りがどうでもいい事に思えてくる。
…ま、いいか。
俺は大人だ。少なくとも柚木よりはそうだと思いたい。
だから、大人な俺は怒りを己の内にそっとしまい込むと、今日の日記に忘れずに書き加える事を誓い、柚木に話しかけた。
「…で。さっきのは何の真似だ?」
七瀬曰く、先ほどの行為は、らぶらぶ度119%以上のカップルでなければなしえない技だぞ?
「あ。そうだ。クロワッサン食べる?」
「そうだな。そういえば、今朝は何も食べてないから、ちょうど小腹がすいたところ…」
………いや。ちょっと待て。
俺は食べ物の話をしてたか?
っていうか、なぜにクロワッサン?
「はい。練乳たっぷりだよ♪」
しかも練乳たっぷりっっ!?
柚木が差し出したクロワッサンを見ると、確かに練乳がたっぷりとかかっていた。
「…満腹なんで遠慮する」
「さっき、『小腹がすいた』って言ってたよ?」
「……」
「……」
互いに押し黙る二人。
「………」
「………」
くっ……さ、先に動いた方が殺られる……。
「えいっ! クロワッサンブーメラン!!」
「うわっっ!!」
ベチッ!
俺は、柚木が顔めがけて投げつけた練乳たっぷりのクロワッサンを、なんとかかわす。
かわされたクロワッサンは、哀れな姿でベンチの背もたれに張り付いていた。
「くっ…。私のクロワッサン手裏剣をかわすなんて流石は茜の恋人だけあるわね…」
「お前、今『ブーメラン』って言わなかったか?」
「だって、戻ってこないんだもん♪」
「…………………………」
俺はどうすればいいんだろう? やはり、ちゃんとツッコむべきなのか?
だが、それがいかに無駄な事かも良くわかっている。っていうか現在進行形で思い知らされてる。
この状況で俺に出来る事といえばひとつしかない。







「うっ……今日も暑いな」
公園のベンチに背中を預けて、空を見上げる。
そこには、雲ひとつない青空がどこまでも続いていた……。







「あ。お茶もあるよ。折原君は紅茶とおでん缶とどっちがいい? じゃ、私は紅茶でいいから、折原君はおでん缶だね」
「……………」
柚木の存在を無視し、雲ひとつない青空を見上げる俺の胸元に、ホカホカと暖かいおでん缶が押しつけられた。
おでんの汁で喉の乾きを癒すとともに、中に入っているおでんの具でお腹もいっぱいになれるという一挙両得なやつだ。
「…………………………」
…熱い。胸元が異様に熱い。晴天の暑さとは違う異質な熱さが、おんで缶の置かれた胸元を中心にじわじわと広がっていく。
なぜ、おでん缶なんだっ!? しかも、ホット!? っていうか、お茶じゃないだろう、コレはぁっ!?
大体、さっきのクロワッサンといい、このおでん缶といい、いったい、どっから出したんだ、お前はぁっ!?
と、心の中で叫び、柚木の方を見る。
「………」
…気になる。あの、先程から柚木の隣にある物体が…。
仮にも柚木も女の子の端くれだ。普通ならば、バッグか、少なくともポーチぐらいは持って歩くものだろう。
しかし、柚木はそう言ったものを持っていない。今日は大丈夫な日なのだろうか?
「……………」
……ま、まあ、それはともかく。
いったい、何なんだ? 柚木の隣に置かれた、あの、非日常的な物体は…?
「…………………」
…訊くか? 訊いた方がいいのか? だが、それは危険なことなんじゃあないのか? 柚木に対してツッコミを入れることは、自ら地雷原に足を踏み入れることと、なんら変わらないんじゃないのか?
俺は自問自答を、幾度となく繰り返した。そして…。
「なあ、柚木…」
「なぁに?」
…漢には地雷を踏むかも知れないと分かっていても、進まなければならない時がある。
例えば、定価8,800円のパソコンソフトを2割引の消費税込み7,392円で買う時だ。
…すぅっ、と。
俺は一度だけ深く息を吸い込むと、先ほどからの疑問を柚木に投げかけた。
「…そのシルクハットは、なんなんだ?」
…そう。
ベンチの隣にちゃっかり座っている柚木。その更に隣には、高い円筒形の帽子が、鍔を上にしたままポツンと置かれていた。
「これ? 茜のだよ」
柚木はシルクハットを指さして、そう告げた。
「……」
…変わった趣味だな、茜。というか、じゃあ、なんでお前が茜のシルクハットを持っているんだ? いや、それよりも…。
「…今、その帽子の中からおでん缶を出してなかったか?」
クロワッサンの時は、まあ、帽子の中に入れてたんだろう。と、素直にそう思った。まあ、それでも十分、変だが。
しかし、それからおでん缶を出す間に、何度か鍔の方を下にしているのを見ている。
つまり、中に何か入っていたとしても、下に落ちてしまうはずだ。
だが、現実的には、そこからおでん缶を取り出したとしか思えない。
柚木は、俺がそう訊くと、ふふんっ、っと軽く鼻を鳴らして。
「これぞ、詩子まじっくっ♪」
自慢げに、無い胸をそらしてそうのたまった。
「どういう仕掛けなんだ?」
そうか、やっぱり手品か。柚木が手品を使えたとは知らなかった。認めたくはないが……なかなか見事なものだ。
いったい、どういう仕掛けなのか、非常に好奇心を擽る。
「え? そんな事、私が分かるわけないじゃない♪」
「なんでだっっ!?」
あまりに平然とそう言ってのける柚木。
「あ。そろそろ時間だ。じゃ、私はお邪魔だからもう行くね♪」
「待てええええぇぇぇーーーーっっ!!」
それだけ言うと、あらん限りの謎を残して柚木は走り去って行ってしまった。
ふと見ると、ベンチにシルクハットを忘れていってる。
「茜のだって言ってたくせに、人からの借り物を忘れていくとは……。あいつらしいが」
結局、手品のタネは分からずじまい。まあ、手品師がタネを明かさないは、当然のことなのかも知れないが。
「しかし……なんか、力の限り疲れたな……」
茜とこれからデートだっていうのに……ま、これは俺から渡しておくか。
そう思って、シルクハットを手に取……。

「…お待たせしました、浩平」

「…………………」
……目の前に茜がいた。
「……茜……今、どっから……?」
ベンチに置かれたシルクハット。そこに伸ばされた手。茜はその間に立っていた。
と……いうか………今、俺の目に映った光景……は………?
「…………………………」
…目の錯覚…盲点…白日夢…。色んな言葉が頭の中を駆け巡る。

「さあ。デートに行きましょうか」







「うっ……今日も暑いな」
今日は茜とのデートだ。
空を見上げると、そこには、雲ひとつない青空がどこまでも……………。






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