恋のキューピット


かぽ〜〜〜んっ………。

…どことなく作為的な擬音が響く。
「…はぁ………いいお湯ねぇ〜……」
香里は湯船の中でくつろいでいた。
ここは水瀬家。なぜ、香里が水瀬家の湯船の中にいるのかというと…。



「あら、美坂さん。いらしゃい」
「こんばんわ。名雪帰ってます?」
「今日はまだみたいです。もうすぐ帰ってくると思いますから、上がってまてて下さいね」
満面の笑顔で迎える秋子。名雪より早く帰っているとは、いったいいつ仕事をしているのだろうか?
「じゃあ、待たせてもらいます」
そんなことを思わないでもないが、それはともかく、勝手知ったる他人の家。香里は秋子に笑顔を見せると、トントンと階段を上がっていった。
今日は別に名雪と約束がある訳ではない。…なんとなく顔を見に寄っただけだった。
ガチャッ。
「相変わらず……すごい目覚ましね」
名雪の部屋に入ると必ず目につく目覚まし群。特に一番大きな目覚ましは、前回、香里が訪れた時より二周りは大きくなっている。成長期なのだろう。
そんな事をぼんやりと考えながら、香里は本棚から漫画を物色し、ベットに腰を降ろして読み始めた。
…コンコンッ。
「…はい?」
漫画を読んでいると、ノックの音がした。名雪ではない。名雪ならノックをするはずがないからだ。
香里は読んでいた『炎の女』(主人公が好きになった陶芸家が、女が絶頂を迎えた時の桜色を陶器に再現するため、次々と何人もの女性達と肌を重ねていくというレディースコミック)を閉じ、ドアに視線を移した。
ガチャ。
「美坂さん。お茶でもどうですか」
秋子だった。
「そんな、おかまいなく」
とは言ったものの、秋子の手に持たれたトレイにはカップが二つ乗っている。「一緒に飲もう」という意思表示を無下にもする訳にもいかない。
香里と秋子は部屋のテーブルで、フォートナム&メイスンのアールグレイを手に、とりとめのない世間話を始めた。
「………それで、今日はどっちの方に会いにきたんですか?」
「…はい?」
何の変哲もない世間話。いつもと変わらない秋子の笑顔。問い。
…どっち…?どういう意味だろうか?それまでの会話ではその問いに該当するような会話はなされていない。
「あたしは……名雪に会いに来たんですけど?」
質問の意味はわからないが、とりあえず訪問の理由を秋子に告げる。
「そうですか……」
なぜか残念そうな顔をする秋子。
だいいち、会いに来たと言っても、名雪とはさっきまで学校で一緒にいたのだ。そんな改まって言われる程ではない。まして、祐一などに………。
バシャッ!!
「きゃああぁっ!!」
突然、香里の体に紅茶がかかる。
「ごめんさいっ、美坂さん!!手が滑って……」
すまなそうに空のカップを手に持ったまま秋子が告げる。…滑ったのに、なぜカップが手に?
「ちょうどお風呂が沸いてますから、すぐ入ってください。その間に服は洗濯しておきますから」
………なぜに風呂が沸いている?
「じゃあ、すみませんがそうさせて貰います…」
…そんな疑問も持つ間もなく、香里は風呂場へと向かった。



かぽ〜〜〜んっ………。

…やはり作為的な擬音が響く。
「ほんと、いいお湯だわ〜……」
という訳で、香里は湯船の中でくつろいでいた。
時々、目の前をぷかぷかと浮かぶアヒルの玩具を沈めて遊んでみる。
「………くすっ♪」
なんとなく楽しい。別に体を洗うのが目的では無いため、普段の入浴よりゆっくりできる。このままずっと入っていたいぐらいだ。
…ガラッ。
その時、突然風呂場のドアが開いた。
「………」
「………」
一糸まとわぬ祐一だった。
「………」
「………」
沈黙。
「……………」
「……………」
さらに沈黙。
「…………………」
「…………………」
まだまだ沈黙。
「あっ………相沢君?って、きゃああああぁぁぁーーーーっっ!!」
「うわああああぁぁぁ〜〜〜〜〜っ!?」
ようやく状況を把握した香里が胸を隠しつつ、悲鳴を上げる。
「なっ、なに見てるよのっ!!」
真っ赤になって、湯船に沈みつつ怒る香里。
「すっ、すまんっ!その……あの……あんまり綺麗だったんで……」
「…えっ?」
祐一の一言に香里が言葉を飲む。
「………」
「………」
…再び沈黙。
「香里………って、ぐはあぁっっ!!」
口を開きかけた祐一の額に、アヒルの玩具が勢いよく当たった。音は、すこーんっ、だ。
「いっ、いつまで見てるつもりなのっっ!!早く出ていきないっ!!」
「わっ、悪いっっ!!」
慌てて風呂場を逃げ出す祐一。
「はぁ、はぁ………」
肩で息をしながら落ち着こうとする香里。
「……みっ、見られちゃったの……?」
はい。全部♪
「……どこまで見られちゃったかしら……」
だから、全部♪
「ううっ……」
涙目になりながら、再び湯船に沈み込む香里。
遠くで「香里が入ってるじゃないですかっ、秋子さんっっ」「あら?そうだったかしら♪」という声が聞こえる。
「……………」


『……あんまり綺麗だったんで……』


そんな香里に、先程の祐一の言葉が想い出された。
その瞬間、ボッと赤くなったかと思うと、香里はそのまま湯船の中にブクブクと沈んでいった……。
……………そのままだと死にます。




「…だから、悪かったって言ってるだろ?このとおりだって」
リビングでは、祐一が正座をして床に手をつき頭を下げいた。日本古来より伝わる由緒正しい謝罪方法『DO・GE・ZA』だ。
「悪かった………で、済むと思ってるの?」
香里はリビングのソファーに肢組をして座り、顔は横に向けたまま、得意の見下す視線で祐一を見下ろしてる。
「うっ……」
その迫力に、祐一は蛇に睨まれたけろぴー同然だ。
「相沢君………責任はとってくれるんでしょうね?」
「せっ、責任っ!?」
香里の背後に、ゴゴゴゴーッっと音が文字と化して見える。
まさか「腹を切れ」と言われるのか?
祐一の頭の中に今までの出来事が走馬燈のように駆けめぐった。
「…美坂家の女性は、肌を見られた男性に生涯を捧げなければならないのよっっ!!」
「なっ、なにいいいぃぃっっ!?今時そんなバカなっっ!?」
祐一の頭の中に今までの女性関係が走馬燈のように駆けめぐった。
トュルルル…。
突然、リビングの電話が鳴る。
ガチャ。
「はっ、はい、水瀬ですが…?」
「そんなことないですぅ〜」
ツー、ツー、ツー…。
「しおしおもそんなことはないと言ってるぞっっ!?」
「誰よ、しおしおって…」
突然かかってきた匿名の電話だが、あまり祐一の役には立たなかったようだ。
「ううっ……この若さで結婚しなくてはならないのか…」
祐一は滝のように涙を流している。
「…まあ、冗談だけどね」
「………へ?」
キョトントする祐一。
「冗談よ、冗談♪」
そんな祐一の様子が可笑しかったのか、笑って答える香里。
「そうか……良かった……」
祐一は、ほっと胸をなで下ろした。
「でも、しばらくは、百花屋のデラックスパフェをご馳走になるから、よろしくね♪」
「ぐはああああぁぁぁーーーーーーっっ!!」





…それからしばらく。
百花屋に恋人のように戯れる二人の姿があった。
だが、それが祐一と香里であったかは定かではない…。





「了承♪」





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