innocence Laughter
「貴方は……全能の神様なんかじゃない」
「何も知らない、何も出来ない……ただ怯えて震える、小さな、可哀想な……」
「当たり前の、ただの子供なのよ」
紫音に差し出された由梨奈ちゃんの手。
「うるさい、うるさい、うるさぁいっ!」
しかし、紫音はその手を受け取らずに後ずさる。
「私はお前なんかより、ずっと強いんだぁっ!」
ぶぅぅんっ……。
紫音の叫び声と共に、ユグドラジルが鈍い唸りをあげ、同時に、その場に落ちていたガレキやガラスの破片が、いっせいに浮き上がり、その切っ先を由梨奈ちゃんへ向けた。
「死ねぇぇぇぇ!」
ビュゥッ!!!
空を引き裂く勢いで、その鋭い刃が、いっせいに由梨奈ちゃん向かって飛んで行く。
「……!?」
だが、ガラス片やガレキは、由梨奈ちゃんぬ触れるそのわずか数センチ手前で、砕けちっていた。
「私は……貴方には負けない」
…由梨奈ちゃんのエクテニックフォース…。
その蒼白い輝きが、由梨奈ちゃんを包んでいた。
「お、落ちこぼれの癖にっ!どうして!?」
紫音が、絶句して、また後ずさる。
「私は……なんだって出来る。いくらでも強くなれるわ」
「なんで!?どうして!?遺伝子操作と薬物投与……何より、このユグドラジルの力まで手に入れた私より、どうして強い力が出せるの!?」
「私は……」
由梨奈ちゃんの視線が僅かにこちらを向く。
「慎一郎さんが好きだから」
そう笑顔で答える由梨奈ちゃんの瞳には、確かな強い意志の光があった。
「守るべきもの……信じられるもの……それが無い貴方は、私には勝てないわ」
そこにいるのは、あの、どこかおどおどした……他人に合わせた笑顔で笑う由梨奈ちゃんではなかった。
もはや勝負の趨勢は明かだった。
「そんなの……そんなの、認めない!」
さっきと同様、紫音の手元にある金属片や小石、ドライバーなどが次々と浮き上がる。
「私は……完全なの!最高の存在なのよ!だって……」
…紫音に、もはやさっきまでの優勢さはない。
そこにあるのは……今にも泣き出しそうな子供の姿だけ。
「だって、パパがそう言ったんだものぉ!!」
びゅん、びゅ、びゅんっ!
紫音の叫び声と共に、浮かんでいた金属片や小石が次々と由梨奈ちゃんに向けて襲いかかる。
「っ!!」
しかし、その全ては由梨奈ちゃんの目の前で、弾け飛び、あるいは砕け散り、捻れ曲がってしまう。
「もう諦めて……」
…絶対的な防御の力。
「貴方はたくさん殺してしまったけど…」
…何かを守る力。
「……まだやり直せる」
…まさしく由梨奈ちゃんらしい。由梨奈ちゃんの為の力だった。
「きっとやり直せるから」
今までの自分へ手を差し伸べるかのように。
由梨奈ちゃんは紫音にその右手を再び差し出した。
「うるさぁいっ!」
だが、それは紫音にとって、憐れみとしか写らなかった……。
「私のこと……馬鹿にして……………ユグドラジル!私に力をっ!」
紫音がそう叫んで、両手を思いっきり天に向かって突き上げた瞬間。
ぶぅぅぅ、ぅううおおおおおおんんっ!!!!!
ユグドラジルの駆動音が変化した。
「紫音ちゃん!ダメぇぇーーーっ!!」
由梨奈ちゃんの表情が変わる。
「うるさいっ!今に見てなさい!貴方なんか、私のユグドラジルの力を使っ……て……!?」
驚愕の表情を浮かべ、頭のすぐ後ろのユグドラジルを振り返る紫音。
「なっ、何なの!?身体が……力…が……心……が……!?」
紫音の身体が、黄色く輝きながら、次第にその輪郭から内側へと溶け、霞んで行く。
「紫音ちゃん!早く離れて!ユグドラジルは……」
由梨奈ちゃんは消え行く紫音を見つめたまま、叫ぶ。
「吸い……こまれ……」
由梨奈ちゃんは、紫音に駆け寄る。
「ユリナ……タスケテ……」
紫音が、その右手を必死に伸ばす。
「紫音!」
同時に走り出していた僕は、紫音のその手を掴む。
だけど……半透明の発光体になってしまった紫音の右手は、その手を突き抜け、その向こうの虚空を掴むことしか出来なかった。
「オニイ……チャン……」
…紫音の瞳が僕に突き刺さる。何も……僕は何も出来ないのかっ!?
「紫音ちゃん!」
由梨奈ちゃんもまた、紫音の元に駆け寄ろうとしたその時。
僕は…………叫んでいた。
「由梨奈ちゃんっ!………………だっ!!」
ぶぅぅぅん……。
ユグドラジルが………最期の唸りをあげた。
……あの事件から。
既に、半年近くが過ぎようとしていた。
「ふあぁ〜……おはよう、由梨奈」
「おはようございます、慎一郎さん」
…僕たちは北海道にいた。
ここには、由梨奈の生家があった。住む者もなく、荒れ放題にはなっていたが、屋敷は広く、手をいれるとかなり快適だった。
なにより、のどかな土地で、都会の人混みから離れられるのが一番の理由だった。
「…おはよう。慎一郎」
………紫音のために。
紫音は、あれ以来すべてのエクテニックフォースを失ってしまった。
あれほど強くなった由梨奈のエクテニックフォースも、事件前程度の力しか残っていない。
あの時……。
「由梨奈ちゃんっ!ユグドラジルだっ!!」
……僕は叫んでいた。
理由なんかなかった。ただ、消え行く紫音を助ける為には、ユグドラジルを止めるしかない、という直感だけだった。
僕の叫びに、由梨奈はその力のほとんどをユグドラジルに向かって放った。
紫音の強大なエクテニックフォースの全てをを吸い取っていたユグドラジルは、同時に由梨奈のエクテニックフォースをも吸収する形になり、おそらくは……オーバーロードで停止したんだ。
国家機密であろう、紫音への追撃が心配されたが、紫音が事前に行っていた政府要人の汚職証拠による脅迫が効いていたのか、あっけないほどに何もなかった。
エクテニックフォースを失ったとはいえ、紫音の年齢からかけ離れた知能の為、その将来を考えて、僕たちは北海道へと移り、三人で暮らしていた。
博士の思惑か、紫音にはなんと美琴ちゃんの妹としての戸籍があった。
由梨奈と正式に籍を入れたら、紫音を僕たちの子供として引き取るつもりだ。
「慎一郎さん、まだ眠いんですか?」
「ん……ああ……」
眠い目を擦りながら、朝食の乗ったテーブルにつく。
由梨奈が微笑みながら、コーヒーの入ったカップを渡してくれる。
鼻孔をくすぐる心地よい匂いで目を覚ましつつ、コーヒーに口に含む。
「頑張るのもいいけど、自分の歳を考えないとね」
っと。紫音が言う。
…甲斐甲斐しい妻。小憎らしくも可愛い娘。
こういう生活もいいのかもしれない。
「……でも、夕べはあんまり激しいから、流石に私も疲れちゃったよ」
「ぐぼはぁぁぁーーーーっ!!……けほっ、けほっ!!」
いきなり、紫音がとんでもないことを言い出す。口に含んでいた、コーヒーをほとんど吹き出してしまった。
「なっ……!?本当なんですかっ、真一郎さ〜〜〜んっっ!?」
由梨奈が涙目で詰め寄ってくる。
「まっ、まてっ!!誤解だっ!!そんな訳ないだろうっ!!」
「うぅっ〜〜……やっぱり若い子の方がいいんですね〜〜〜」
由梨奈はエプロンの端を口にくわえ、下に引っ張って泣いている。
「ホントだって!!信じてくれ!!」
そんな様子を脇で見ながら、紫音がクスクスと笑っている。…この小悪魔がっ!
「由梨奈っ!ほんとだってっ!僕は何もしてないっ!!」
「ぐすっ……いいんです。どうせ、私なんか……」
力の限り否定するが、全然信じてくれない。ああ、いったい、どうすれば………。
…そんな僕の後ろに、いつの間にか、紫音が忍び寄っていた。
「…バカね。こうすれば、すぐにわかるのに」
ドンッ!!
「っ!!」
「っ!!」
由梨奈を顔を覗き込む形で説得していた僕は、突然背後から紫音に押され……由梨奈とキスする形となった。
「由梨奈。あなたは、接触テレパスの方が強力なんだから、これで冗談だってわかるでしょう?」
紫音の声が後ろから聞こえる。
「…んっ……はぁ……慎一郎さん…」
「由梨奈……」
「……………って。朝から、二人とも何してるのよっっ!ほら、慎一郎ははやく仕事に行くっ!!」
「いででででっ!……こっ、こら、耳を引っ張るな、紫音っ!!というか、朝ご飯がまだ……!?」
「いいから、とっとと仕事に行くっ!!」
「うわあああぁぁぁ〜〜〜〜っ!!」
…賑やかな日溜まりの中。
柱時計から機械仕掛けの人形が動き出す。
無邪気な笑顔の ─ innocent Eye's ─ 疑うことを知らない瞳で。
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