「……ダメだよ」
 冷たい雨。
「お兄ちゃんは、わたしのじゃない」
 あの日、私は死んだ。
「わたしじゃ、お兄ちゃんを幸せにできないの」
 それは、私が死んだからじゃなくて。
 なぜなら……。
「そういう呪いなんだから」
 ……私は決して幸せになってはいけないのだから。





   ――― 白 虹 ――― 





 死が、始まる。
 私、という存在の終わり。
 抗うこともできずに、身体は徐々に動かなくなる。
 私の全身に届かない、私の意思。
 奪われていく体温。
 痺れていく指先。
 暗い。
 何も見えない。
 愛する人達の顔を見ることすらできない。
 こんな終わり方しかないのだろうか。
 私が何をしたというのだろうか。
 どうして、もっと先ではなく、今なのか。
 次々と浮かぶ疑問。
 でも……わかっていた。
 わかっていたんだ。
 だから、私はあの人に想いを告げなかった。
 悲しくなるから。
 こうなることがわかっていたから。
 そして……。
 ……流菜がいたから。
 このまま私が消えてしまえば。
 流菜は誰にも遠慮することはない。
 このまま私が消えてしまえば。
 お兄ちゃんは幸せになれる。
 …………。
 ………。
 ……。





 私は……………………臆病だった。



 例え、瞬きする程の僅かな時間でも。

 あの人と一緒にいたい。

 例え、触れられることが出来なくても。

 あの人を見つめていたい。

 例え、世界を滅ぼしても。

 あの人の側にいたい。





 だから、あの時。


 ―――儀式を始める。


 私は選んだ。


 詠唱を―――。


 決して……許されることのない選択を。


 ―――少女よ。汝の願いかなえん。



 ……。
 ………。
 …………。





「しあわせになんかなりたくない」
 激しい雨。
「だめ……流菜となら……あの子とならおにいちゃんはしあわせになれるのに」
 責めるような。
「オマエがいない」
 痛めつけるような。
「わたしはとっくにいない人間なんだよ」
 冷たい雨の中。
「オマエはオレの目の前にいる」
 離れたはずの唇だけが……驚くほど熱かった。
「オマエの身体をちゃんと感じる」
 決して許されることのない身で。 
「オマエの気持ちがちゃんとオレに伝わってる」
 声にならない声で。
「……感じる」
 抱きしめられた腕に。
「もっとそばに感じたい」
 本当の気持ちを。
「だ、だめっ」
 ……叫んでいた。
「お兄ちゃん……お願い。やめて……」
 もっと……。もっと強く抱きしめて、と……。
「……どうして?」
 悲しそうなお兄ちゃんの顔。
 そんな顔を見るのは凄く辛い。
「もしかして……流菜か?」
「……っ……」
 その名前に、驚く程身体が動かなくなるのがわかる。
 自分から望んでいたはずなのに。
「……違う……」
 でも……。
 でも、それだけじゃない。
「そんなんじゃ……ない」
「……深月?」
「そんなんじゃないの……私は……わたしだけは幸せになっちゃ駄目なの」
 拭えない過去が。
 消えることのない罪が。
 私を苛む。
「私……酷い女なんだよ?」
「なにいって……?」



「私……人殺し、なんだ」





 …………。
 ………。
 ……。



 ―――少女よ。汝の願いかなえん。

「天使に……なりたい」
 天使になってあの二人を見守りたい。
「……」
 ……ううん。
 ほんとは、側にいたいだけ。
 ……あの人の。
 そのためなら……。

 ―――対価を。

「この雨を……」

「この雨を、降り続けさせる。数多の幸福を飲み込み、その対価を満たすまで―――」



 40日間降り続いた雨の、最初の夜。

 悲しみを飲み込む雨。

 墓標の都市。



 私が背負う十字架。



 ……。
 ………。
 …………。





「お兄ちゃん……天使ってどうしたらなれると思う?」
「どうしたらって……」
「他の人の……幸せをね。奪うの」
 そう……私は自分の望みのために。
 帰る家を。
 住む土地を。
 そして……命を。

 奪った。



「だから、わたしは数え切れないぐらいの人の幸せを……。殺して……。奪ったの」
「み……つき……」
「それこそ、奇跡がおきるぐらい、沢山ね」

「だからね」

「私は幸せになっちゃ駄目なの」

「だからね」

「お兄ちゃんの記憶を……もう一度。奪うね」

「っ!? やめろ、深……んぐっっ!?」



 慌てるお兄ちゃんの唇を強引に塞ぐ。
 最後に、もう一度だけ。
 許して、なんて言わないから。
 そして、そのままお兄ちゃんの記憶を奪う。
 私との出会いだけを。
 私との記憶だけを。



「……み……つ……き……」





 …………。
 ………。
 ……。






 激しい雨の中を。
 お兄ちゃんは走る。

 ……流菜のもとに。



 たとえ雨が降っていても。
 月はいつでも見守っている。
 これからは、流菜がお兄ちゃんの月になってくれる。


「お兄ちゃん……」


 私は、お兄ちゃんの月にはなれなかったけれど……。

 せめて……月にかかる虹になって……一緒に見守りたい。





「……だいすき、だよ」





 暖かい雨が……頬を流れた。











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