
日置流範士 浦上 栄 先生
そもそも日本の弓が、弓道と呼ばれるようになったのは、日本弓術の歴史から見れば本当に最近のことである。昭和初期に弓術と呼ばずに弓道と呼び始めたのが最初といわれており、一般的な呼称となったのは、「全日本弓道連盟」が組織として成り立ってからである。
弓術は、そもそも近くの狙ったものを確実に射止める射術(敵前・歩射)、できるだけ遠くへ矢をとばす技術(堂射)、馬上で矢を放つ射術(騎射)の3つに分けられる。これらの射術にはそれぞれ多様な流派が存在した。現在の射法八節は、大東亜戦争敗戦後、全日本弓道連盟が組織された際、乱れた弓道界を復古させるために著名な弓道家が集まり、定めた統一射法である。この射法はいろいろな解釈や誤釈をされることとなり、この混乱は現在も続いている。
現在の近的競技は射位から的面まで15間(約28m)の短い射距離である。ということは、敵前・歩射の射法で引くことが最も効率よく、かつ正射正法と言える。この歩射の射法は中貫久が常に求められる。「中」は的中が」確実であること。「貫」は鉄兜をも貫く矢勢を生むこと。そして、どういう状態であろうとも「中」と「貫」を維持することである。
長い日本の弓術の歴史の中で、本当に多様な射術が研究され、伝承されてきたが、あらゆる戦いや試合で勝ち残ってきた射法、それが日置(へき)流射法であり、「射は日置(へき)」と呼ばれてきた最強の射術である。日置流の始祖は、日置弾正政次先生であり、八幡大菩薩様の化身とも称されている。1440年頃に活躍された方で、その射術は精妙にして神技とされており、今日に伝わる日本弓術の射法を作り上げた方である。その後、日置流は弟子達の伝承によって研鑽が進められ、多くの流派を生んだ。その中でも吉田家に伝わり吉田源八郎先生を印西派の発祥としている。日置流は吉田家より徳山家に伝わっていたが、その中の一派は日置流範士 故 浦上栄先生が継承し、改良を加えて現代の射法として完成させた。秘伝については極めた射手にしか伝授されないが、浦上先生の射術の大きな特徴としては「三分の二」をとるということである。現在は浦上同門会の浦上直先生、博子先生を中心として日置流弓術の普及に努めている。