右権頭茂時は、北条茂時で太平記で南部茂時といわれてる人

*参考文書
元弘三年 (1333)十二月十八日
   北畠顕家国宣案 (白川結城文書)

(上書)
糠部郡内九戸事国宣案
    下 糠部郡
可早令結城参河前司親朝領知当郡内九戸右馬権頭茂時跡事
右件人令領知後戸 於貢馬以下者無懈怠可致沙汰之条所仰如件
元弘三年十二月十八日

43 「入道行珍申 久慈郡事」1334年
(遠野南部家文書)

 陸奥国宣

    (花押) 北畠顕家 
信濃前司入道行珍申 久慈郡事
申状如此 子細見状 早可被沙汰居代官於彼郡之由
国宣候也 仍執達如件
   元弘四年二月十八日    大蔵権少輔清高
 南部又次郎殿


信濃前司入道行珍申す 久慈郡の事 申状かくの如し 子細状に見ゆ
早く代官を彼の郡に沙汰し居えらるべきの由 国宣候也 仍って執達くだん
のごとし

* 師行沙汰付文書の最古
 *信濃前司−二階堂行朝

44 「大田孫太郎 比内事」 1334年
(遠野南部家文書)
  陸奥国宣
 
(端裏書)
「太田孫太郎 比内事」
陸奥国宣
  (花押) 北畠顕家 
陸奥國比内南河内事、大田孫太郎行綱代行俊申状如此
子細見状、早可被沙汰付之由、國宣候也、仍執達如件
    元弘四年二月廿二日日   大蔵権少輔清高
 南部又次郎殿

陸奥国 比内南河内の事 大田孫太郎行綱 代 行俊 申し状斯くのごとし
子細状に見る 早く沙汰付けらるべきの由  國宣候也、仍執達如件

*比内南河内=大館近辺

47 「 閉伊郡、大澤村御牧馬 」 1334年
(遠野南部家文書)
  陸奥国宣

   (花押)  顕家
閉伊郡内大澤村御
牧馬并殺害追捕以下狼
藉事石見左近大夫有資
申状二通副守常/解状等如此子細見状  *副守常/解状等 二行
山田六郎所行云々急速令尋沙汰、
任実正可被注進之由 國宣候也
仍執達如件
   建武元年三月三日   大蔵権少輔清高 奉

閉伊郡内大澤村御牧馬 並びに 殺害追捕以下狼藉の事
石見左近大夫有資の申状二通( 守常解状等を副う)
斯くのごとし 子細状に見ゆ 
山田六郎の所行云々は急速に尋ね沙汰せしめ
実正に任せ注進せらるべきの由 国宣候なり
よって執達件のごとし


48 「鹿角郡闕所」   1334年
(遠野南部家文書)

 陸奥国宣

   (花押) 顕家
鹿角郡闕所少々、所被宛行地頭也
任御下文之旨、可被沙汰居之由、依國宣執達如件
   建武元年三月廿一日   大蔵権少輔清高 奉
  南部又次郎殿

鹿角郡 闕所少々地頭に宛行われる所なり
御下し文の旨に任せ 沙汰せられべくの由
よって国宣執達件の如し


49 「多田貞綱」 1334年
(遠野南部家文書)

 陸奥国宣

   (花押) 顕家
多田木工助貞綱令下向津軽候 先打向糠部、使節等相共可尋沙汰之由
被仰含候、急令會合冷静静謐郡内之様、可被計沙汰者、
依國宣執達如件
   建武元年四月十三日   大蔵権少輔清高 奉
  南部又次郎殿

多田木工助貞綱 津軽に下向せられ候 まず糠部に打ち向かい
使節等相共に尋ね沙汰すべきの由仰せ含められ候  急ぎ会合せしめ
郡内を静謐にせられる様計らい沙汰せらるべし てへれば
依國宣 執達如件
*急=公に心




0 「糠部郡闕所事」 貞綱文書
(南部家文書)


(包書ウワ書)
「師行
 建武元年四月晦日多田木工助
      貞綱寄師行状          」

糠部郡闕所事
一戸  工藤四郎左衛門入道跡
     同子息左衛門次郎跡 八戸上尻内
八戸  工藤三郎兵衛尉跡
三戸  横溝新五郎入道跡
南部又二郎殿 戸貫出羽前司殿 河村又二郎入道殿     *戸貫出羽前司殿=中条時長
両三人預由候 能々郡内可有御警固候 諸事御談合
候者可宣候 恐々謹言
    建武元年四月晦日  源貞綱(花押)
  南部又次郎殿


糠部郡の闕所の事
一戸  工藤四郎左衛門入道の跡
     同子息左衛門次郎の跡 (八戸上尻内)
八戸  工藤三郎兵衛尉の跡
三戸  横溝新五郎入道の跡
南部又二郎殿 戸貫出羽前司殿 河村又二郎入道殿
両三人に預け由候 よくよく郡内の警護有るべく候 諸事御談合
すれば よろしべく候   恐々謹言


54 「北畠顕家袖判御教書」参照


58 「伊達五郎入道善恵申す 南門内」 1334年
(遠野南部家文書)
 陸奥国宣


 (花押)北畠顕家
伊達五郎入道善恵申 糠部郡南門内横溝六郎三郎入道浄円跡事
任御下文之旨莅彼所 可沙汰付善恵代 従称本主 捧関東下 知行以下証状雖支申
不帯倫旨・国宣者不可許容 使節遅引者 可有其咎者 依 国宣執達如件
     建武元年 七月二日 大蔵権少輔清高奉 
  南部又次郎殿

伊達五郎入道善恵申す 糠部郡 南門内 横溝六郎三郎入道浄円跡の事
御下し文の旨に任せ彼の所にのぞみ 善恵の代に 沙汰しつくべし
たとい本主と称し関東下知以下の証状を捧げ 支え申すと言えども 
倫旨国宣を帯びざれば許容するべからず 使節遅引者 可有其咎者           
依国宣執達如件


59伊達大炊助三郎次郎光助申 1334年
(遠野南部家文書)

  陸奥國宣

  (花押) 北畠顕家
伊達大炊助三郎次郎光助申、八戸工藤左衛門次郎跡事、
任御下文之旨、可沙汰付光助代、縦稱本主、捧関東下知以下證状
雖支申、不帯 綸旨國宣者不可許容、使節及遅引者、可有其咎者、
依、國宣執達如件
      建武元年七月二日       大蔵権少輔清高奉
  南部又次郎殿


伊達大炊助三郎次郎光助申す 八戸工藤左衛門次郎跡の事
御下し文の旨に任せ 光助代に沙汰しつくべし たとい本主と称し
関東下知以下の証状を捧げ 支え申すといえども綸旨國宣を帯びずば許容
すべからず 使節遅延におよばばその咎有るべし てへれば よって
国宣執達件の如し


60七戸内工藤右近将監跡 1334年
   (遠野南部家文書)

  陸奥國宣

    (花押) 北畠顕家
糠部郡 七戸内工藤右近将監跡 被宛行伊達右近大夫将監
行朝畢 可被沙汰付彼代官者 依 国宣執達如件
    建武元年七月廿九日  大蔵権小輔清高奉
 南部又次郎殿


糠部郡 七戸内工藤右近将監の跡 伊達右近大夫将監行朝に
宛行われおわんぬ 彼の代官に沙汰しつけらるべし
依って国宣執達件如

61津軽御下向  1334年
  (遠野南部家文書)

  陸奥国宣

  (花押) 顕家
津軽御下向路次 糠部郡内宿々御雑事用意事 御宿次並人数以下注文一通遣之
早相談工藤右衛門入道 可致厳密沙汰者 依国宣執達如件
      建武元年八月二日          大蔵権少輔清高奉    
  南部又二郎殿

津軽御下向の路次 糠部郡内宿々の御雑事用意の事
御宿次並びに人数以下注文一通これを遣わす
早く工藤右衛門入道と相談し厳密に沙汰いたすべし
依国宣執達如件

宿次=宿泊


62 阿曽沼下野権守朝綱 1334年
     (遠野南部家文書)

  陸奥国宣

    (花押)北畠顕家
阿曽沼下野権守朝綱代朝兼申、
遠野保事、申状如此、子細見状、
所詮下日追却面懸左衛門尉以下輩、
可沙汰付朝兼、使節遅引者可有
其咎也者、依 國宣執達如件、
    建武元年八月三日 大蔵権少輔清高奉
 南部又次郎殿

阿曽沼下野権守朝綱の代の朝兼申す
遠野保の事 申し状此の如し 子細状に見る 
所詮下日 面懸左衛門尉以下の輩を追却し
朝兼に沙汰し付くべし 使節遅延せばそのとがあるべし

下日=不日  近いうちに      
追却=追求




66 三戸内會田四郎三郎跡事 1334年
    (遠野南部家文書)

  陸奥国宣
    (花押)北畠顕家
工藤三郎景資申糠部郡三戸内會田四郎三郎跡事
早任御下文之旨、可打渡景資、使節遅引者
可有其咎之由、國宣所候也、仍執達如件
    建武元年九月六日    大蔵権少輔清高奉
  南部又次郎殿

工藤三郎景資申す 糠部郡三戸内 會田四郎三郎跡の事
早く御下し文の旨に任せ 景資に打ち渡すべし
使節遅引者 可有其咎之由 國宣所候也、仍執達如件




67横溝孫六重頼 1334年
   (遠野南部家文書)

  陸奥國宣

     花押  北畠顕家
横溝孫六重頼者 不令与同一族
兼以訴申孫二郎入道等陰謀之子細之間
忠節之仁也 仍被苑行六郎三郎入道跡畢
早可被沙汰付於当所 尋掃凶徒在所
弥可致忠之由所被仰含也 存其旨 可被相談者
依国宣執達如件
    建武元年九月十二日   大蔵権少輔清高 奉
 南部又次郎殿


横溝孫六重頼は 一族と与同せしめず兼てもって孫二郎入道等陰謀の
子細を訴え申すの間 忠節の仁也 仍って六郎三郎入道跡宛行われ
おわんぬ 早く当所に沙汰しつけらるべし 凶徒の在所を尋ね捜し
いよいよ忠を致すべきの由仰せ含めらるる也 その旨を存じ 相談
せらるべし てへレば 国宣に仍って執達件の如し  


68伊達大夫将監行朝申、糠部郡七戸事 1334
     (遠野南部家文書)


(包紙ウワ書))
       御書上
  師行 建武元年9月廿八日、此一章
      不戴家系如何云々 故旧以傳疑云○」

    (花押)顕家
伊達大夫将監行朝申、糠部郡七戸事、任御下文之旨
莅彼所、可沙汰付行朝代、縦稱本主子孫雖支申、
不可許容、使節及遅引者、可有其咎者、依國宣
仍執達如件、
   建武元年九月十六日   大蔵権少輔清高奉
 南部又次郎殿 


伊達大夫将監行朝申す 糠部郡七戸事  御下し文の旨に任せ
彼の所にのぞみ 行朝の代に沙汰しつくべし たとい本主の子孫
と称し 支え申すといえども許容すべからず 使節遅延におよばば
その咎あるべし てへれば依って國宣執達如件



69糠部郡一戸事 1334年
    (遠野南部家文書)

  陸奥國宣

    (花押)顕家
中條出羽前司時長申、糠部郡一戸事、任御下文之旨
莅彼所、可被沙汰付時長代、使節及遅引者、可有其咎者、
依 國宣執達如件、
   建武元年十月六日   大蔵権少輔清高奉
  南部又次郎殿


中條出羽前司時長申す 糠部郡一戸の事 御下し文の旨に任せ
彼の所にのぞみ 時長の代に沙汰しつけらるべし 使節遅延におよばば
その咎あるべしてへれば 依って國宣執達如件 


71 横溝孫次郎 入道子息亀一丸、同六郎子息虎熊 丸 1334年
     (遠野南部家文書)

   陸奥國宣

    (花押)顕家
佐々木五郎泰綱召進横溝孫次郎
入道子息亀一丸、同六郎子息虎熊
丸事、暫可召置歟、六郎以下輩、
猶尋捜之後、可有沙汰哉、且又随
事躰、可被計沙汰也、六郎妻女
事聞食畢、同可被召置之旨、被
仰下也、仍執達如件、
    建武元年十二月七日 大蔵権少輔清高 奉
  南部又二郎殿


佐々木五郎泰綱が召し進むる横溝孫次郎入道子息亀一丸 同六郎子息虎熊
丸の事 暫く召し置くか 六郎以下の輩なお尋ね探すの後沙汰有るべきか
且つ又事の体に従い計らい沙汰せらるべき也 六郎妻女の事聞こし召され
おわんぬ 同じく召し置かるべきの旨仰せくださる也 仍執達如件 



73 七戸御牧御馬事 1334年
    (遠野南部家文書) 

  陸奥國宣

    (花押) 北畠顕家
糠部郡七戸御牧御馬事、追越方々云々、為事實者
太不可然、早尋捜之、可被返遺本牧、若又有申異儀之輩者
可被注進交名者、依 國宣執達如件
    建武元年十二月十五日   大蔵権少輔清高奉
   南部又次郎殿

部郡七戸御牧の御馬の事  方々に追い越つ云々事実たらば
はなはだしかるべからず 早くこれを探し尋ね本牧に返し
つかわさるべし 若し又異議を申すの輩あらば交名を注進せらるべし
てへれば 依って國宣執達如件