

| むかしのお話です。讃岐(さぬき)(いまの香川県)の白鳥(しらとり)というところに、与治山と呼ばれる山がありました。その頂(いただき)には、清少納言(せいしょうなごん)をおまつりした祠(ほこら)がありました。 そのむかし、京の都の藤原忠光(ふじわらのただみつ)という公家(くげ)の姫である清少納言が、都を追われて讃岐にやってきました。が、不幸にして病にたおれ、この白鳥の地で亡くなってしまいました。 里の人々は、これをたいそうあわれみ、都の見える与治山の頂におまつりしました。それが、この祠なのです。 ある秋の日のことです。一人のおばあさんが、祠にお参りするため、与治山をのぼっておりました。海の見える山道は、明るくのんびりとしていますが、だんだん山の奥になるにしたがい、暗くさびしくなってきました。 やがて、お参りがすんだのか、おばあさんは、山道をおりはじめました。すると、下のほうから、里にすむ一人のお百姓さんが、鍬(くわ)をかついでやってきました。おばあさんは、その男を呼びとめて、 「ほんまに、すまんけど、引田(ひけた)のほうへいくんは、どういったらええんな」 と、たずねました。すると、男は、 「ああ、引田な、引田なら、ここをずーっと下って、東のほうへいきまーせ」 と、ていねいに教えてくれました。そこでおばあさんは、ふかーく頭を下げて、 「そりゃ、ありがとうござんした」 といって、その顔を男に向けました。と、どうでしょう。男は、その顔を見るや、 「うわーっ!」といって、その場でばったり気絶してしまいました。 それから、しばらくして、男は通りかかった娘さんにゆり起こされました。 「もしもし、こんなところで、どうなさったんですか」 やっと正気にもどった男は、 「ああ、こわかった。いまのは、たしかに、山姥の顔じゃ。そりゃ、こわい、ものすごい顔をしとったわい」と、さっきのこわさを娘さんに語りました。すると、娘さんは、急に男の顔に近づき、 「それは、こーんな顔だったんな」 といって、さっき見た顔より、もっとおそろしい顔になりました。 「ぎゃーっ!」と、男は大声でさけぶと、その場にもんどりうって気絶してしまいました。 そんなことがあってから、里のおじいさんたちは、「与治山には、けっして一人でのぼってはいかん」と、子どもたちにいって聞かせたということです。 |