以下の作文は、ストーンサークルの作り方についての、現時点での私の空想です。それ以上のものではないことをあらかじめお断りしようかな。まあ、いずれにせよ、物語だからね。もっと自由に考えていいのかも。
ウ ル の 縄 文 物 語 |
青々とした風が渡っていく。
おひさまは今、てっぺんにいらっしゃる。
私は名前をウルという。
一匹の老犬だ。
私はこのムラで生まれた。
この地が切り開らかれてから、どれくらいになるのか見当もつかないが。
私はこのムラが、ここに暮らす人々が大好きだ。
オガワラの湖から、おひさまの沈む方向へと舟を走らせる。私たちのムラはその途中にある。
ムラはそう大きくはないが、苔むした土屋根を並べるいくつかの家に交じり、草葺きの建物も一棟建っている。それら、若草色の屋根の上を、今さっきお天気雨がぬけていった。そちこちの葉っぱに抱かれた水玉たちが、風にキラキラと踊らされている。まったく、ほんとうに綺麗なものだ。
あたりはクリやクルミ、ドングリなどの落葉の森(参考:縄文の森)。ここからでは向こうにあるはずのおヤマの姿もよくわからないが、イシクラの丘、あの見晴らし台の上に立てば、この世界のすべてを見遥かすことができるのだ。
この世界のすべてをだ。
おいで、子ども達。昔話でもしよう。
それは私がまだ、おまえ達やちょうどあの、木登りに興じている少年マオのように野山を駆け回っていた頃の話だ。
私も今年で13を数える。随分と長生きをしたものだ。
それでも、マオ少年とでは5つより違わない。なんといっても、我々イヌ族はニンゲン達のように、ゆっくりと歳を取ってはいられないのだからな。
まあそれはともかく、私が1歳になるかどうかの頃だった。
コマキやイシクラの丘は、このあたりの多くのムラの者達にとって昔から特別なところだったという。
彼らはそこに集っては、様々なムラ同士の取り決めをしたものだ。
近隣のすべてのムラの代表が集まるときもあれば、わずかな者達だけのこともあった。決めごと次第だったのだろう。集まる者達の顔ぶれも様々だったように思う。今年のシカの追い込み猟はどういう風にやるか。イノシシの罠は何処にどのくらいしかけるのか。あちこちのドングリ山の収穫はどういう順番で行うのか、またあるムラの青年は、別なムラの乙女を自分のムラに迎えるために、果たさなければならないことを皆と確認し合ったりもした。そしてまた、なによりも彼らにとってはその生を終えた者達を送るところとして、あの丘は特別な意味を持っていたのだな。
ある日、一人の長老が言った。
「我々が祖先より受け継いだこのコマキの丘だが、先に送られた長老ブブで一つの区切りとしてはどうだろうか。そして我々は、我々と後に続く者達のために、新たに向こうに見えるイシクラの丘に石を運ぼうではないか。あの丘もまた、南側の斜面に手を入れれば、おヤマにきれいに陽が落ちてゆくのだし、今からかかれば時もちょうど良い。」
そうして彼らは、仕事に取り掛かったのだった。
彼らがまずしたことは、丘の伐採だ。大量の木材が切り出され、それらはその用途に応じて巧みに仕分けられてゆく。彼らにかかれば、木々はその枝の一本たりとも無駄にされることはない。
次に彼らは丘を削り始めた。山側を切り、谷側へとどんどん土を盛っていく。まだ子イヌだった私は、マオの姉、マホの腕に抱かれそれを見ていたものだ。またたくまに大きな広場ができあがっていく様は、見ていて気持ちのよいものだった。
土はまた、広場のぐるりにも取り囲むように盛られていった。土を運ぶ者達は、あらかじめ撒かれてあった貝殻をなぞるようにその土を盛り上げていったものだ。谷側の方と冬至の日没方向には彼らのお墓と出入りのために土が盛られなかったが、それはまた、どんなに雨が降ってもあの場所に水がたまらないようにということでもあったのだな。
今でこそイシクラの丘はあのように石だらけで、真ん中にわずかな広場を持つだけだが、石を運び揚げる前はそれは広々としていた。私や兄弟達は夢中になって走り回り、遊んだものだ。といっても、そう長いこと遊ばせてはもらえなかったがな。
彼らは私たちを追い立てると、まず、広場に杭を立て始めた。展望の開けたイシクラの丘でおひさまの動きを影で追いながら、杭は様々な所に立てられていった。私はそれまで、コマキの丘の石はただ丸く輪を描くように並べられているのだと思っていたのだが、そうではなかったのだな。石の置き方は、それは事細かに定められているらしかった。
長老達やシャーマンが皮革や束ねられた縄を手に、それぞれの結び目を見ながら、若者達に指示を与えていく。
「最初の所から始まって、日没の方向十二に杭だ。違う、もう少し湖の方だ。よし。そこから六つにもう一つだ。いいぞ。」
このときの杭は、後でみんな石に置き変えられるのだが、杭のあった場所は少し違った置き方がされたようだった。きっとなにか特別な意味でもあったのだろう。
そしてあの見晴らし台だ。そのために運ばれてきたクリの木は、イシクラの丘で切り倒されたどの木よりも大きなものだった。おそらく彼らは随分前から、その日のために準備を進めて来ていたのだな。なにしろ、全部で36本にもなったのだから。
見晴らし台はぜんぶで6つ、これもおひさまの昇り、沈んでゆく場所が大切なようだった。その場所を定めるまでには随分と苦労をしていたものだ。私にはあれは見晴らし台としか思えないものだが、これも彼らにとってはなにか特別な意味を持っているらしかった。どうも死者を送る儀式と関係ありそうなのだが、よくわからない。
しかし、なんというか、あそこからの眺めといったらなかったなあ。
:回想;夏至の前日
幼いウルを抱いたマオ姉が、完成した見晴らし台の上に上ってゆく。
山のてっぺんに沈んでゆく金色の夕日をじっといつまでも眺めていたウルとマオ姉。
おまえ達は知るまいが、あのマオのお姉さんはというのはそれはもう、やさしくて、きれいな娘だった。そのマオ姉も今は、望まれて二つ向こうのムラに行ってしまった。腕が良いと評判の若者頭だった。マオ姉を連れていってしまったのは。男の子二人、女の子3人に恵まれたと聞くが、どうしていることか。
見晴らし台の上にまで昇らせてもらえたのは、後にも先にもあの時だけだった。あの場所が動き出してからはシャーマンがそう簡単に入れてはくれなくなったし、私も学ばなければならないことが多く、色々と忙しくなったのだ。猟のお供が出来るようになるまでには何年かかったのだったか。私はそれでも割と早くから連れていってもらえた方だった。
その頃の群れのリーダーはグルといった。私の祖父だ。なにものも怖れることのないりっぱなイヌだった。そうだ、おまえ達にもその血は受け継がれているのだな。
:回想;グルの死と埋葬(参考:二ツ森貝塚遺跡情報)。
クマの爪にかかり倒れたリーダーグル。そしてフラスコ状ピットへの埋葬。貝がたくさん被せられ、埋められる。それを見つめているウルとマオ姉。
我々はそれ・・・ そのあたりにあるドングリの穴などがお墓になるのだが、ニンゲン達はみなイシクラの丘に帰っていく。
そうだ、石を運ぶ話がまだだったな。(参考:こまきのいせきものがたり)
彼らはつまり、あれだけの石を運びあげたのだ。それも、あんなにも遠くの河からな。石の重さは、だいたいマオと同じくらいはあるだろう。これが、数にしておよそ二千と五百だ。もちろんお前たち仔イヌ程度の石も数えてのことだがな。そうとしたって大したものだ。それを彼ら、20名にも満たないものたちが、わずか一月あまりで運びあげたというのだから・・・。
石を背負子に積み上げて、河から丘までの道のりを、何度も何度も歩いたのだ。
それはやはり、なにかに祈っているようでもあったなあ。
少し風が冷たくなってきた。
おひさまもだいぶ傾いてきたようだ。さっき少年の登っていたあのクリの木のてっぺんからならば、あの日のようにおヤマに沈む夕日を見ることができるだろうか。
もうすぐ夏がくる。照りつけるおひさまと、泣きわめくセミたち。イキモノたちの喧騒と倦怠。しかし、そんな夏も通り過ぎてしまえばやがて実りの秋が来る。ドングリやクリは一斉にその実を落とし、河は、上って来たサケで埋め尽くされることだろう。
そして今年もまた、盛大でにぎやかなマツリがあるのだ。
私は名前をウルという。
一匹の老犬だ。
私はこのムラで生まれた。
私はこのムラが、ここで暮らす人々が大好きだ。