「パパラギ(白人)の生き方は、サバイまで舟で行くのに、岸を離れるとすぐ、サバイへ着くのに時間はどのくらいかかるかと考える男に似ていると言えるだろう。彼は考える。だが、舟旅のあいだじゅう、まわりに広がる美しい景色を見ようとはしない。やがて、左の岸に山の背が迫る。それをちらっと見ただけで、もう止まらない
ーあの山のうしろにはいったい何があるだろう。おそらく湾があるのだろう。深いのかな?せまいのかな?
こういう考えのためにもう、若者たちといっしょに歌っていた舟歌どころではなくなってしまう。若い娘たちの冗談も聞こえなくなってしまう。
湾と山の背が過ぎ去ると、また新しい考えが彼を悩ます。
「夕方までに嵐になるのじゃないか」
そう、嵐になるのじゃないか。彼は晴れた空に暗雲をさがす。来るかもしれないあらしについて思いわずらう。嵐は来ずに夕方ぶじサバイに着く。
ところがこれでは、旅行はしなかったのと同然だ。なぜなら彼の思いはいつも彼の体を離れ、舟を離れて遠くにあったのだから。」
「日が照れば何も考えないのがずっといい。かしこいサモア人なら、暖かい光の中で手足を伸ばし、何も考えない。頭だけでなく、手も足も腿も腹も、からだ全部で光を楽しむ。皮膚や手足に考えさせる。頭とは方法が違うにしても、皮膚だって手足だって考えるのだ。」
「もし、だれかがパパラギにこう聞くとする。どうしてそんなにたくさん考えるのか?パパラギはこう答えるだろう。
馬鹿でいたくないし、馬鹿でいることは許されないからだ、と。」
「どのヨーロッパ人も自分の頭をもっとも早い銃に仕立てるために、その生涯の最良の時をついやしてしまう。」
そして、酋長ツイアビは言う。
「私たちは、私たちの暮らしの喜びを奪うすべてのものから、自分を守らねばならぬ。心をくもらせ、明るい心の光を奪うすべてのものから、私たちの頭と心をたたかわせてしまうすべてのものから、自分を守らねばならない。
考えることが重い病気であり、人の値打ちをますます低くしてしまうものであることを、パパラギは身をもって私たちに教えてくれた。」と。