縄文時代の「ものさし」
縄文時代に尺度が生きていたらしいことは、最近の発掘調査の結果から間違いないと思われます。
例えば、三内丸山遺跡の6本柱の建物跡や小牧野遺跡の配石列の間隔など、あらゆる遺構の配置にこの尺度は使われているようです。
尺度と言うと国家が定めた動かしがたい規制のように考える人も多いと思いますが、ここで言う尺度はそのようなものではなく、あくまでも、人間の体をものさしにしていると言うに過ぎません。現在、具体的には尺骨=約35cmが最小の単位として想定されています。そして、良く言われているようにその6倍の210cmや、これを倍にした420cmが三内丸山遺跡ほか、多くの遺跡で柱穴の間隔として観察されているのです。
実は、35cmをさらに6分割した「ものさし」ではないかと思われるものが、実際に縄文時代後期の遺跡から出土しています。国立歴史民俗博物館の西本豊弘氏によれば、その線刻間は左側で約5.5cm、右側で約5.5cmとのことですが、より厳密に読みとれば5.8cmと見られるものです。ここで、縄文人が6進法だったと言うつもりはありませんが、長さの単位として、「6単位」がある意味を持っていただろうことは考えて見ても良いのではないでしょうか。