古代東北 都母の里
まずは、前口上から。
「正史」に見る古代東北の姿が、
「まつろわぬもの」の歴史として不当に卑しめられていると思うのは、
なにも私が東北の人間だからだけではないだろう。
参考:北日本の歴史散歩
切り崩されていく古代東北
ともすれば「正史」を綴る側の人々は、
自らを先進の文化を担う優れた者として、
「まつろわぬもの」どもを
未開で遅れた野蛮人と見なしたがるものだ。
今日では考古学上、
単純なる狩猟採集民であったはずもない当時の東北の人々である。
人種的にもほとんど変わることのないそれら人々を、
古代「中央」はあらわな悪意、もしくは敵意をもって
「蝦夷(えみし)」と呼んだ。
「日本書紀」景行天皇四十年 にはこのように記してある。
「暴強きわまりない種族であって、男女・父子の別もなく、
悪鬼のような人たちで、穴居生活をしている」と。
悪路王とされたアテルイ
さらに、斉明天皇五年 には
「五穀がなく、樹下に住む」
とさえ記してある。
弥生前期どころか縄文晩期の稲作が論じられ、
平安時代の畠と見られる遺構の発見報告が、次々となされているこの頃である。
借り物の中華思想に基づくこれらの記述が、
「蝦夷」を未開野蛮の民として強調せんがための作為に過ぎなかったことは、
発掘調査の結果、もはや疑うべくもない。
今日、縄文時代の生業でさえ
単純なる狩猟採集で説明する学者がはたしてどれほど居るだろうか。
そもそも縄文1万年。
豊かな森、川に恵まれ、東北の民が育んできた歴史の輝きを、
日本(にほん・にっぽん)の「記紀」に求めることが間違いであろう。
しかし私たちが習い、子供たちが習う歴史はまさにこの「正史」に他ならない。
私たちは、私たちの歴史を私たちの手に取り戻す手だてを考えなくてはならないのではないか。
現代に生きる東北の民として、
正しく東北の歴史を考えることが今、求められている。
もうひとつの、 日本(ひのもと)の歴史を。
そんなわけで、こういうことをやりたいと思います。