あれは、昭和58年のことだから、もう17年も前のことになる。

なんの選挙だったかはもう忘れたが、数多くの選挙カーが走り回っていたことからして、相当に大きな選挙だったのだろう。

私たちはのある遺跡の調査をしていた。その週は選挙カーが毎日のように現場周辺を賑やかしていた。

お願いしますお願いします最後のお願いですこれが最後です本当に最後ですたのみますおがみますほんとです最後です終わりですおねげいします・・・・

と。

そんなお願いの大洪水に、いつしか誰もスピーカーの声に反応するものはいなくなっていた。

しかし、その日は少し違っていたのだ。

それまで、暑い中それぞれの担当する遺構に向かい黙々と作業を続けていた作業員さんたちが、そちこちで、

くすっ。くすすっ。

うへははは。

と笑い始めたのだ。

いったい、なーにをそんなに笑うことがあるものかと言うと、スピーカーの声を聞いて見ろとのこと。

その声は、だんだんと近づいてきていた。

 

 

ありがとうございますありがとうございますタクシは明日も参りますありますのでワタクシは言うのでございますっ   娘さんがたは・・  魚の料理の仕方もりませんそれではイケナイのでございます 旦那さまが帰ってきたらカルシウムたくさんの焼き魚お刺身煮物、等々で出迎えて差し上げ・・・・

 

 

 それは、魚屋だった。車中の彼はまったく絶好調だった。乗りに乗っていた。すれ違う本物の選挙カーにエールを送ったりもしていた。送られた候補者もずいぶんと戸惑ったことだろう。

 現場で聞いていても、彼が道行くひとびとにニコニコしながら頭を下げている様が目に見えるようであった。

 彼はそれからひとしきり、

最近の娘さんたちが魚料理をしないことに嘆き、

おいしくて体によい魚料理について語り、

家庭円満の大切さを訴えて、

 立ち去っていった。

 明日も必ずやって来ると言い残して。

 私たちはこの、愛すべきさかなやさんの再来を楽しみに待った。

 しかし、彼はどうしてしまったのだろうか。私たちはその後、二度と彼の声を聞くことはなかったのである。

 

 さかなやさん、誰かに何か言われたのかな?