院長のつぶやき

(2001年1月分)

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「つぶやき」の目次
 

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1月31日(水) 坂本
 「差額なしでもやれる」(民医連の病院)朝日新聞に紹介
 朝日新聞の「くらし」欄で、全国のほとんどの病院で行われている差額ベッド料徴収について、民医連の病院では徴収していないこと、なぜなのか、それで(経営が)やれるのか、ということが大きく取り上げられていた。
 (http://www.asahi.com/life/medic/0131c.html#top)

 最近は一般の病院では大部屋でも差額ベッド料を徴収したり、病状のために必要で個室を使用するような場合でも、徴収したりしているようだが、私たちの民医連の院所は原則として差額ベッド料をいただいていない。経営的にはいただいた方が病院としては助かるのだろうが、民医連の方針として「誰でも、いつでも、どこでも、安心して医療が受けられる」ことを目指しているので、金がないと受けられない医療には基本的に反対しており、差額ベッド料を頂かないことにしている。差額を徴収しているところでは、医療収入の2%近くにもなるらしい。(それだけあれば、当院や津軽保健生協も経営の心配をしなくていい??)
 それでも、差額をいただかないで、頑張っている民医連の病院が大きく取り上げられたのは非常にうれしいことだ。
 差額ベッド料をいただいていないので、出資金の増資をたくさんしていただけるともっとうれしい、というのが正直な話なのだが。(^^;



1月29日(月) 坂本
 琉球大学精神科助教授 平松謙一先生から医報の原稿が届く
 27日(土)に「津軽保健精神科医報」編集委員長であるDr.藤田から依頼されていたことだが、医報の巻頭言の原稿がe-メールで送られてくる、とのこと。昼過ぎに琉球大学医学部精神科精神神経科助教授 平松謙一先生から無事に「沖縄と弘前で」と題した巻頭言の原稿が届いた。沖縄と弘前という、日本の南と北とでの交流がどのようにして始まったのか、故津川武一先生とのやりとり、平松先生の分裂病観など興味深い内容となっている。詳細は医報を読まれたい。


1月28日(日) 坂本
 平川の白鳥の飛来地に写真を撮りに行く
 久しぶりの休みで、妻と長女は冬物をユニクロに買いに行くというので、乗せて行き、買い物の時間に、毎年のことだが、藤崎町にある平川の白鳥飛来地に撮影に行った。メインの機材はニコンnFM2(ラピタバージョン)に300mmF4.5ED の望遠レンズ。白鳥が翼を広げて飛翔するところを流し撮りしてみたい、と思っているのだが、思うようには撮れないものだ。
 そうしているうちに雨や雪でカメラとレンズが濡れてしまい、車に引き返し天候の回復を待った。しばらくすると日がさしてきて、暖かくなってきたので撮影再開。飛んでいるところと、飛び立つところを一応は撮影したが、人様にお見せできるようなものではないなぁ。(^^;

 仮称「議会制民主主義を守る市民会議」結成総会 15:00〜 中弘教育会館にて
 日本共産党4名の市議会議員に対する不当な「懲罰動議」に反対し、議会制民主主義を守るための市民会議結成総会に参加した。
 議員定数削減の審議の中で、それに反対して慎重審議を主張してきた市議団に対して、「議員定数の協議内容と関連資料を第三者に不適切に提供した」とか「議員提案権の阻止をあおった行為」などと難癖をつけ、懲罰委員会にかけたもので、全く不当な、前代未聞の事態となっている。このようなことを許すなら、反対意見を主張する少数派の議員は懲罰の対象となってしまい、言論の自由、政治活動の自由も認められなくなってしまう。まさに、言論の府としての議会の自殺行為に他ならない。このような「懲罰」を持ち出してきた議員達こそ市民の糾弾を受けなければならないだろう。
 詳細は後ほど資料をアップしたい。

(弘前市議団への懲罰動議、関係資料) (2.1 追加)

 今後の活動予定としては、2月12日(月:振替休日)に懲罰を許さない市民集会を開催することとなっている。(午後2時から弘前観光館にて)
 「議会制民主主義を守る市民会議」の連絡先は、〒036-8054 弘前市田町5-2-2。 



1月27日(土) 坂本 指定休
 ホームページのURLも元に戻した。
 7-dj.com のホームページをきちんと読んでみると、infoaomori.ne.jp のドメインは今後も継続されるので、そのまま使用できることが書かれていた。これをちゃんと読んでいなかったのがいけないのだが、プロバイダとして、そういうアナウンスをきちんとしていないことにも問題があるのだと思う。少なくともメールで知らせるべきだろう。

 痴呆治療病棟(4病棟「オアシス」)の現状について
 病棟医長であるDr.アリツカからメールが届いた。設立当初は混沌と混乱の中にあったようだが、ようやく最近は落ち着いてきたようだ。発信者から転載の許可を得たので、部分的に転載する。なお、プライバシーを侵害しないように一部改変してある。
 痴呆病棟の運営が、薬物療法などの医療的な側面よりも、生活環境の調整など、看護・介護の役割がより重要であることが分かる教訓的なエピソードとして紹介したい。

----------  Dr.アリツカのメールより -----------------------

>痴呆病棟(別称オアシス)も 落ち着きつつある。 患者もスタッフも。
> Cさんという男性、夕方になるとせん妄になりずっと不眠が続いて昼に寝る人。
> それで家庭でどうにも出来ずに入院してきた。最初薬物で抑えて過鎮静で動けなくな
> りクスリを切った。一昨日の朝は脳梗塞の再発か
> と思うほど体の自由がきかなかった。それが昨日は日中の覚醒度が上がって、昼に寝
> て夜にせん妄というパターンがなくなった。昼に起きて夜はクスリなしで寝たのだ。
> ただし問題があった。昨日の昼にデルームで立ち小便したのだ。今朝のミーティング
> でこれをどうしようという事になった。私は言った。「私もボケたら同じ事をするか
> もしれない。なぜなら、私はどこでも見境なく立ち小便する癖があるから。だから、
> デールームでのCさんの立ち小便はなんとか大目に見て欲しい」と。それで結論
> 的にクスリも何も処方せず大目に見ることにした。看護婦のSさんが顔をクシャク
> シャにして転げて笑った。私は「スタッフもまとまってきた」と思った。いいチーム
> になってきた。その後CさんはDルームで立ち小便しなかった。
>

 東奥日報紙に痴呆病棟の紹介記事が掲載(1/27 夕刊)  (2.3 追加)
 「弘前に県内初の痴ほう病棟」と題して、本日の東奥日報紙夕刊に紹介記事が掲載された。かなり大きな扱いで、写真も大きなカラーで載っている。厚生省の認可を受けた老人性痴呆疾患「治療」病棟としては県内初、ということで取り上げられたようだ。ありがたいことである。

 東奥日報のweb でもご覧になれる。場所は以下を参照されたい。(直接リンクを張っては著作権法に触れるようなので、URL を紹介する)
  http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2001/nto20010127.html#Anchor11



1月25日(木) 坂本
 病院のメールアドレスが間違っていた。
 当ホームページのプロバイダが infoaomori.ne.jp から 7-dj.com に名称変更した、ということだったので、今月初めにホームページのメールアドレスのドメインを変更していた。ところが、それではメールが届かない、というご指摘のメールを頂いた。なので、今月中に当院のホームページを見て、メールを出していただいた方は、届いていない可能性がある。
 以前の fujiken1@infoaomori.ne.jp のままで良いことが分かったので、元に戻しておいた。

 映画「6d」を観た
 アーノルド・シュワルツェネガー主演の映画「6d」(sixth day)を観てきた。”6d”とは第6日目のことで、聖書では神が人間を創った日となっている。近未来社会でクローン人間の製造を禁じた「6d法」が制定され、その禁を破ってクローン人間を造る一味とシュワちゃんが戦うというアクション映画なのだ。クローン人間というのは、人間が人間を造るという、神の領域を侵す危険な行為ではないか、という強いメッセージ性が込められていると感じた。
 もちろん、DNAが同じだからといって、数時間で全く同じ人間が出来あがるわけではなく、記憶や思考などは、環境との人間との相互作用の中で形成されていくものであり、映画の設定は非科学的な面をもってはいるのだが、映画自体はアクション映画としては楽しめるものだった。



 数日間、つぶやきが飛んでしまった。完璧にやろうとすると、息切れがしてしまうので、適当に書こうと思っている。


1月21日(日) 坂本 日曜日


1月20日(土) 坂本 指定休日
 「新春のつどい」(日本共産党津軽後援会) 13:30〜 弘前駅前市民ホール(ダイエー4F)
 参議院予定候補者 紙智子さんや高柳ひろあきさんを迎えて、後援会の「新春のつどい」が行われた。私は後援会長として開会の挨拶を行ったが、なんと開会に5分ほど遅刻してしまったのだ。お恥ずかしい次第だが、雪での渋滞が予想以上にひどかった。
 それで、私は開会の挨拶で「遅れてしまい、申し訳ありません。いよいよ21世紀となりました。私が子どもの頃には21世紀といえば自家用車が空を飛んでいる時代であり、まさか大雪で道路が渋滞して遅れることになろうとは思いもよらなかった」と言い訳をしてしまった。(^^;;
 紙智子さんは参議員比例代表候補で北海道・東北を地盤に立候補する予定だが、赤のスーツに身を包んで颯爽としていた。話の内容も分かりやすく、自分がどうして共産党の活動をするようになったのかなどを話してくださった。外見も中身も素晴らしい候補者だと思った。
 高柳さんは青森県選挙区からの予定候補者。青森民医連の事務局にいた方で、私も以前から存じ上げていた。30歳という若さで精力的に候補者活動をしているようだ。当日は青森から電車でかけつけたとのことだったが、やはり雪で遅れたのと、建物の中で迷子になっていたとのことでかなり遅くなっていた。
 その他、出し物で、女性地方議員奮戦記が面白かった。
 最後に共産党の4人の弘前市会議員団に不当な懲罰動議がかけられていることが報告された。12月議会最終日に提案可決され、懲罰特別委員会で審議が行われているという。弘前市議会の議員定数削減をめぐって、削減に反対したことを巡って懲罰に掛けられる、という前代未聞、まったく不当な懲罰動議のようだ。これから懲罰をさせない運動をしていく必要がある、と感じた。

 病院の新年会 18:00〜 プラザホテルにて
 上記に引き続いて、藤代健生病院としての新年会があった。私はどちらにも出なければならないので、忙しいのだ。
 前記、新春のつどいが予定よりも早く終了したので、紀伊国屋本店に寄ってカメラ雑誌を買い、ゆっくり歩いていっても会場のホテルでかなりの待ち時間があった。ロビーでコーヒー無料サービスがあったのはありがたかった。新春らしく着物などで着飾った女性職員がだんだんと集まり、新年会が始まった。ぢつは私もスーツにネクタイ姿であった。私がネクタイをするなんて、結婚式と葬式くらいのものなのだ。(^^;; 「先生、今日のコーディネート、素敵よ」とか言われるのは気持ちが良いことだなぁ。
 私は乾杯の挨拶で、昨日の当直で起こった出来事(夜間せん妄の患者さんに薬や注射を使わずに様子を見たことなど)を話し、新しい病棟ができることによって、既存の病棟の治療のあり方も見なおす機会としたいと述べた。
 食べたり飲んだりの合間を見ながら、いつも腰ベルトに下げている愛用のコンパクトカメラで、自分のテーブルの廻りなどを撮影。衣装で目を引いたのは、第2部の司会担当のMさんがチャイナドレスで登場したこと。スリットがまぶしかったが、2,3コマ撮影させていただいた。
 余興では3病棟スタッフのパラパラ踊り、4病棟スタッフの息継ぎ訓練?(病棟医長である蟻塚理事長の指導で口にビールを含ませて呼吸をするというのだ)などを撮っているうちにフィルムが終了した。そこに、「先生、写真撮って」と着物姿の”お嬢様”たちから声を掛けられたので、ロビーに飛んでいってフィルムを調達し、撮影して差し上げた。
 最後はテーブル毎のクイズと、くじ引きで新年会は終了した。



1月19日(金) 坂本
 10日ぶりの快晴
 長女が大学受験を控えていることもあって、しんぶん「赤旗」の配達が次女の仕事になった。末っ子の次女は私に似て朝寝坊なのだが、新聞配達で5時台におきることになったので、私も付き合って早く起きることにした。
 昨夜の雪は早朝にはやんだらしく、その後快晴となって、放射冷却現象でマイナス9.6度まで冷え込んだ。6時前に起きて外に出てみると、東の空が茜色に染まり、細くなった月が加わって綺麗な朝焼けだった。しかし、地上は大雪。18日夕方までの弘前の積雪は60cmほどとのことだったが、一晩で20cmほど積もったようなので、朝の積雪は80cmほどになるだろう。次女が自転車では配達できない、というので、車を出して手伝うことにした。
 出勤途中、いつもの土堂付近に来ると、放射冷却現象で冷やされた空気が田圃の温かさと反応してか霧となって地上を覆っていた。しかし、岩木山はくっきりと10日ぶりに美しい姿を見せていた。麓の林も雪をすっぽりと被っている。一種、荘厳な雰囲気であった。

 当直
 4病棟(オアシス)が開設されてから初めての当直となった。その病棟からポケベルで連絡あり、個室の患者さんが「せん妄状態」で服を脱いでしまったり、あちこちいじっている、とのこと。今までの病棟であれば、注射して眠らせてしまったりすることが多かったと思うが、痴呆病棟の運営の理念として、できる限り薬物を使わない、隔離や拘束も最低限度にする、ということがあるので、経過観察とした。病室には点灯してあり、床に転がってコンセントをいじっている程度で、眠らなくても危険性はないと判断した。せん妄で徘徊する人も、徘徊させておけば、そのうち疲れて眠ってしまうだろう。
 新しい病棟ができて、発想の転換ができるというのは、既存の病棟の運営にも良い影響を与えることが期待される。



1月18日(木) 坂本
 会議に明け暮れた1日
 午後は面接や会議が多かった。
 青森県庁健康福祉部の方と14:00から面接。アルコール依存症の入院形態についてのことと思っていたら、患者さんの入院についての相談であった。
 15:30〜16:30 アルコール治療ユニット会議
 17:00〜17:45 2病棟運営会議
 18:00〜医局の症例検討会、と連続してあったために、頭がオーバーヒート寸前となった。

 21時近くになって、家から「温泉(家族風呂)に行こう」と連絡があり、弘前近郊の温泉に行った。まだ雪が降り積もっている。



1月17日(水) 坂本
 当ホームページのアクセス数が4000に
 おかげさまで、HPにアクセスされる方が順調に増えているようで、ありがたいことだ。
 当HPは1998年8月16日に開設したものの、その後、約2年近く更新を怠っていた。いつ来ても全く同じ内容じゃしょうがない、ということで、2000年5月20日に更新を開始するまで、アクセスカウンターは1350程度だった。1日2件強のアクセスに過ぎなかった。
 更新を頻繁にするようになって、アクセス件数も増加して、7月30日頃に2,000に到達。70日で650件なので、1日10件弱となったわけだ。10月27日に3,000に到達。90日弱で1,000件なので1日10件を突破したことになる。
 そして、本日、アクセス数が4,000に達した。80日ほどで1,000件になる。ところで、この間、プロバイダのサーバの故障で、5,6日間のアクセスカウンターが無効になる、というアクシデントがあったので、実質的には80日で1,060件なのだ。
 最近は1日あたり、15〜20程度のアクセスを頂いているようだ。
 痴呆病棟関連で、かなり頻回に更新していたためだろうか。
 お出で下さった方に満足していただけるよう、さらに充実したHPにしていきたいと思っている。
 なお、実は、アクセス数が3998の段階で表紙に「4000アクセスとなりました」と書きこんだため、アクセスカウンター表示が 3999 の方はびっくりされたかも知れない。カウンター 3999 の方と 4000 番目のアクセスの方は、訪問時刻を記入してメールを下さい。もしかしたら、プレゼントがあるかもしれません。(^_^)/


1月16日(火) 坂本
 E.T.グループ
 アルコール依存症の学習グループを担当している。このグループ名を「E.T.グループ」としたのは、公式的には"Educational Therapy"(教育的治療)の頭文字をとったもの、となっているが、スピルバーグ監督の映画”E.T.”から拝借したのは言うまでもない。(^^;
 本日のテーマは「アルコールによる神経障害」で、とくにアルコール性の脳萎縮について説明をした。
 長期間、大量に飲酒していると、脳(大脳、小脳ともに)が萎縮する。頭部CTスキャン(コンピュータ断層撮影)で検査した結果、以前に当院のアルコール専門病棟に入院したアルコール依存症の方で、CT上で正常範囲と判定されたのは15.8%に過ぎなかった。つまり、10人中8〜9人は脳萎縮があると判定されたことになる。
 しかも、このアルコールによる脳萎縮は年齢が上がるにつれて重度となり、脳萎縮点数(BAS:Brain Atrophy Score)で判定してみると(全くの正常は0点、最重度の脳萎縮は14点)、年齢が10歳上がるとBASの平均点数も1点上がる(脳萎縮が重度となる)という関係になっていた。一方、大量飲酒しない正常対照群では、生理的な老化による脳萎縮を反映しているBASの平均点数が1点上がるためには、25年を要することも分かった。すなわち、大量のアルコール摂取は脳萎縮(脳の老化現象)を2.5倍も速く進行させるということになる。
 ここで、架空の空想実験を行って、アルコール依存症者の実(暦)年齢と「脳年齢(脳の萎縮の程度から何歳の脳に相当するか)」を計算してみる。
 20歳から大量飲酒を開始すると仮定する。その時の脳年齢はもちろん、20歳。
 10年間大量飲酒を続け、30歳になった時、BASは20歳のときよりも1点悪化していることになる。生理的な老化によりBASが1点悪化するのに要する年数は25年だから、その時の脳年齢は20+25=45歳となる。
 さらに10年間大量飲酒を続けて40歳になった時、同様にして脳年齢は45+25=70歳。
 このようにして50歳で脳年齢は95歳。60歳だとなんと120歳!相当の脳になってしまう事になるのだ。(^^;;
 一方、断酒を続けると(見かけ上の)脳の萎縮が改善することも分かってきた。これも当院のアルコール依存症の方に入院時(入院後まもなく)と、退院時(退院直前)の2回頭部CTの検査を行い、比較したところ、BASの点数の差(退院時−入院時)は平均でマイナス1点であった。すなわち退院前には入院時よりも脳萎縮は減少し、正常に少し近づいていたことがわかった。
 まぁ、たかが1点であり、重度の脳萎縮だった人が退院時に正常になることはないのだが、されど1点。BASが1点改善するということは、10年間飲み続けて萎縮した脳が、わずか2,3ヶ月間断酒しただけで、その10年分元に戻るということであり、脳の生理的な老化という点で考えるなら、なんと25年も若返ることになり、貴重な1点ということにもなる。
 ということをお話しした。酒で肝臓などの内臓が悪くなるということは分かっていても、神経が傷害され、脳が萎縮する、ということはあまり知られていないので、アルコール依存症の方も驚かれることが多いようだ。
 ただ、分かったからといって酒を止められる、というほど単純にいかないのが現実なのだが。
 本日のETグループには作業療法学科の学生さんも参加されていた。


1月15日(月) 坂本
 「殺されるー!」と叫ぶ患者さん
 夕べはあまり寝ていないので、眠い目をこすりながら、病棟回診を終えた。午後2時を回ってそろそろ常務会に行こうかと準備していた頃、外来の待合室で「殺されるー!」などと叫び声が聞こえ、緊急ブザーが鳴った。掛けつけると不穏・興奮状態の男の患者さんが暴れて取り押さえられたところだった。I町役場の職員が何度も訪問の上でようやく受診にこぎつけたアルコール依存症の患者さんで、病院に来る途中、アルコール離脱症状のために幻覚・妄想状態(振戦せん妄)となったものだった。単身者で保護者がいないため、町役場と相談のうえ、町長同意で医療保護入院とした。この入院騒ぎとカルテ書きなどのため、常務会は欠席させてもらった。


1月14日(日) 坂本
 青森フォーラムの関東地区新年会をキャンセル
 午前中は残りの中古屋さんを覗いて、午後は@NIFTYの「FAOMORI(青森フォーラム)」企画の「関東地区新年会」に参加するつもりであった。この新年会のことがフォーラムにアップされた時に、「14と21日のどちらがいいですか」というので、私が真っ先に反応して「14日だとちょうど東京出張なので参加できます」と発言して14日に行われることになったという経緯がある。
 ところが朝に自宅に電話を入れてみたところ、妻から「じんましんが出て、体調が悪いので、新年会には出ないで早く戻ってほしい」というのだ。「じんましん」と聞くとちょっと痒くなる程度だろう、と思われるだろうが、私の妻の「じんましん」は特別で、以前にアナフィラキシー・ショックを起こして、意識を失い、救急車で病院に掛けつけ、ステロイド剤を注射してもらって一命を取り留めたことがある。しかも、原因がはっきりしないという、たちの悪い病気なのだ。
 それに帰路は夜間高速バスの「ノクターン号」を予定していたが、東北方面は豪雪という話であり、月曜日の仕事に間に合わない可能性も大きいので、新年会には「ドタキャンで申し訳ないが参加できません」というお断りのメッセージを会議室に書きこんで、失礼させてもらった。
 ということで、午前の中古屋巡りも、新年会もなしで、戻ることになった。「ノクターン号」の切符をキャンセルしてもらおうと、浜松町のバスターミナル(BT)に行くと、品川町のBTでないとダメ、といわれ、品川町に行った。そこでも払い戻しはしてもらえず、「不乗証明をしますから、この切符を購入したところにに1ヶ月以内に持っていって払い戻しをしてください」とのことであった。ということで、昼の新幹線に乗り、帰途についた。新幹線の窓から見える景色は、関東方面は晴れて地面が出ているのに、郡山付近からは雪景色に変わり、宮城県の北部からは吹雪となった。
 盛岡からのヨーデル号乗車中も猛吹雪で、30〜50mほど前の車の赤いテールランプが雪煙の中に見えたり消えたりしていた。それでも運転手は慣れているとみえて、夏場とほとんど変わらない時間で弘前に着いたのには驚いた。弘前から1時間ほど手前の花輪SAから自宅に電話を入れ、弘前駅に迎えを頼んでおいたのだが、予定よりも早く着きすぎたので、駅前で時間を過ごした。宵の明星である金星が明るく輝き、地上のネオンに負けない光を放っている。さっそく、昨日買ったばかりのカメラに高感度フィルム(ISO 800)を入れて、駅前広場のリンゴの像のモニュメントや駅前のホテルと金星を撮影した。F1.4の明るさと高感度フィルムであれば、夕暮れの景色を手持ちで撮影できる。
 駅ビル「アプリーズ」の前には若者二人がフォークギターを奏でて歌を歌っている。ストリートパフォーマンスというやつだろう。周りを数人の若者が囲んでいた。ギターを持った二人に声を掛けて、写真を撮らせてもらった。
 そうしているうちに白の愛車・レガシーワゴンが到着し、自宅に戻った。妻は意外と元気そうで、薬を飲んだらかなり良くなったという。「カメラ屋にいけなくて悪かったわね」というので、「うん。そういうこともあろうかと思って、昨日のうちに買ってきたんだ」とカメラを見せると呆れていた。
 ところで、出発前に手がけていたテープ起こしの入力作業が終わっていないので、やってほしいという。本当は金曜(12日)までに仕上げて青森に送る予定だったのだが、今晩中に仕上げて青森県庁などに持っていきたいというのだ。一日遅れても郵送すればいいのに、と言ってもきかない。やむなく、出張帰りの眠い目をこすりながらワープロ入力を続け、妻がしあげて夜中にようやく完成。ワープロで印刷して、FAXでコピー作業を終えたのが、午前1時近く。これから一人ででも青森に行くというので、吹雪の中を妻に運転させるのは不安なので、私が運転することにした。青森県庁に着いても、目的の課が別の棟にあったりして届けるのに時間がかかりった。さらにもう一軒は個人宅で、住所から目安を付けて行ってはみたものの、たどり着けず、そっちは郵送にすることにして帰宅した。自宅に着いたのは午前4時を回っていた。


1月13日(土) 坂本
 日本生協連医療部会・禁煙運動推進小委員会 東京にて
 朝、目が覚めたら6:30を回っていた。しまった、寝過ごした。吹雪なので予定していた、7:20発のヨーデル号(弘前←→盛岡間の高速バス)ではなくて、1つ前のに乗るつもりでいたのに。妻によると5時頃から何度も「起きなくていいの?」と起こしたが「まだいい」といって寝ていたのだというが、私は全く記憶にないのだ。(^^;
 まぁ、仕方がないのですぐに身支度をして妻の運転で出発。7:20少し前に弘前バスターミナルに到着。バスに掛けこもうとすると、「吹雪で高速道路が不通区間が多く、かなり時間が掛かる。5時間位(普通は2時間強なのに)。昼頃までに着けば良い方だと思ってほしい。盛岡から新幹線に乗る予定なら、JRの方が早い」とのことであった。あわてて駅に向かおうとしたところ、出口で妻が車で待っていてくれた。気が利いているなぁと思っていると「ヨーデルに置いていかれるかも知れないと思って」という。弘前駅に着くと、青森行きは7:34発で、丁度タイミングも良かった。青森から特急「はつかり」に乗り換え、盛岡から新幹線やまびこに。どちらも座って行けたのは幸運だった。座席指定車よりも1時間遅れではあったが、3時間遅れという最悪の事態は免れ、医療部会に到着したのは14:30頃で会議開始から30分経過していた。医療部会には東京駅付近から携帯電話で遅れことを連絡しておいた。
 会議では、医療部会としての「誰でもできる禁煙外来パンフレット」についてや、今年の世界禁煙デーの取り組み、4月末に禁煙運動全国交流集会を開催する予定、などについて話し合った。
 私からは、青森県の健康寿命アップ計画推進委員会での喫煙率半減という目標値が事務方から削除してほしいと要請されたことや、深浦町でタバコの自動販売機撤去の条例制定の動きとJRや国税庁などからの反対の圧力、などについても報告した。

 中古レンズとカメラを購入
 会議は予定よりもかなり早く終了した。実は翌日、都内の中古カメラ店を回って、レンズやカメラを購入する予定でいたのだが、時間があるので、下見に行くことにした。中央線で中野に行き、駅前近くのカメラ店に入った。目的のレンズは、24mmF1.4という広角で明るい優秀なレンズだ。これに ISO 800〜1600 の高感度フィルムで1分近く露出すると、地上の風景と星や天の川を見た目の通りに撮影できるかもしれないと考えていたのだ。それに、流星やオーロラ撮影にも絶好なのだ。目的のレンズは2本在庫があった。安い方は、「中玉キズあり」となっている。たしかに、良〜く見るとごくわずかのキズがあるようだが、実際の撮影にはほとんど支障ないだろうと判断して、安い方にした。予算が浮いたので、ついでにこのレンズを付けるカメラボディも買う事にした。20年ほど前に発売された、当時の最高級一眼レフカメラで、当時はプロにも使われたものだ。天体写真を撮る場合には、最近の多機能カメラは不要で、要はファインダーが良くて、長時間露光用のバルブが機械式になっていれば良いのだ。最新式のAFカメラは、バルブ撮影にも電池を食うものが多く、却って不便となっている。私の買ったカメラは、ピントスクリーンが方眼マット式という、やや特殊なものに変えられているせいか、程度が良いにも関わらず、相場よりもかなり安く入手できた。両方を併せても、一般的な店であればレンズだけの価格に相当する金額で収めることができた、と満足している。

 ホテルで映画「ザ・ハリケーン」を観る
 夕食後、ホテルに戻り、パソコン通信にアクセスしたりしていたが、ペイ(有料)TVでは今月の映画が「ザ・ハリケーン」だった。これは、黒人ボクサーがでっち上げ犯罪で殺人の汚名を着せられ、終身刑で服役し、獄中で出版した本を中古市で見つけた黒人少年が冤罪の証拠を探り出して無罪釈放を勝ち取るまでの物語り。私はボブ・ディランの歌は聞いたことがあったが、映画は見ておらず、見たいと思っていたのだ。’70年代のアメリカの黒人差別を背景に起こった実際の事件で、感動的なものだった。映画終了後に別の番組を見たのかは秘密なのだ。(^^;;



1月12日(金) 坂本
 高校生1日看護体験
 これから進路を決めようとする高校生に対して、医療の現場を実際に体験していただき、できれば将来、当院や津軽保健生協に就職してもらうことができたら、という願いの元に毎年「高校生1日看護体験」という企画を行っている。今回、当院に来ていただいたのは3名の女子高校生であった。患者さんと実際に接してもらい、血圧を測ったり、足浴のお手伝いをしていただいたり、車椅子に乗って車椅子体験などをしていただいた。デジカメでそのときの様子を撮影してあるが、プライバシー保護のために公開できないのは残念だ。

 県連理事会 15:30〜 浪岡町農村改善センターにて
 シベリアからの寒波が次々と覆うなかで、県連理事会が行われた。車で掛けつけたが、かなり遅刻した。
 実は理事会終了後、18:30からは県連医療活動委員会も予定されていたのだが、青森空港付近は猛吹雪のために通行止めになっている、という報告があり、委員の出席が見込めないため、会議は中止となった。帰宅途中も吹雪で大変だった。

 明日は東京出張で、早朝からの出発予定なのだが、妻から講演のテープ起こしのワープロ入力を頼まれてしまった。妻はまだタッチタイプ入力ができず、キーボードを眺めながら、ポチポチと打ち込んでいくので、時間がかかって仕方がないのだ。妻の使っているワープロはF社の少し時代遅れのもので、キーボードのタッチは良いものの、文章の訂正や誤変換文節の切りなおしが面倒で、大変なのだ。午前2時頃までかかって途中で止めることにした。



1月11日(木) 坂本
 弘前保健所の精神保健相談
 今日は相談が2件だったが、そのうちの1件は、なんと午前中に私の外来に予約になっていたのに来院されなかった方についての家族の相談だった。受診を勧めると「舌を切って死ぬ」と脅したという。アルコール依存症の本人が受診を拒否している場合、無理やり連れてくるわけにもいかない。あくまでも本人自身が治療を希望するように粘り強く説得するか、本人が体力の限界を感じてSOSを出すのを待つしかない。その間、周囲の人たちは無用な手出しを控えることが必要となる。今回の場合も、金に困った本人が「これから死ぬぞ」などと家族に電話するため、掛けつけた家族が食べるものでも買うようにと金銭を置いてきていた。当然、これは酒代になってしまうので、そういうことはしないように、と指導すると、いけないことだったのかと驚いてた。周囲がイネーブラー(尻拭い)を下りると、案外、本人は白旗を掲げることが多いものだ。
 そうはいっても、前日には中断していたアルコールの患者さんが、朝に冷たくなっていた、という連絡を受けたばかりで、やりきれない想いもすることがある。


1月10日(水) 坂本
 不発に終わった今世紀初の皆既月蝕
 実は、夜明け前に「今世紀初の皆既月蝕」があったのだが、あいにくの悪天候で、弘前は夜半から雨が降っていたために全く見ることが出来なかった。天候さえ良ければ岩木山をバックにして皆既月蝕の様子を写真に収めるはずであった。全国的にも、広島や九州の一部で部分的に見られただけだったらしい。今朝は雨で最低気温が+7度。昨日との温度差が20度近いという極端さだった。


1月9日(火) 坂本
 今月初めての岩木山頂上までの眺望
 前夜から快晴で、今朝も久しぶりの快晴に恵まれ、岩木山が麓から頂上までくっきりと見渡すことができた。元旦以来、天候に恵まれていなかったが、今月初めてのすっきりした岩木山だ。その代わり、夜間から快晴だったので放射冷却現象のために、今朝方はマイナス10度近くまで冷え込み、今冬一番の冷え込みを記録した。田圃の周辺の樹木の梢は真っ白に氷の結晶を身にまとい、樹氷を形成していたので、これもデジカメで記録しておいた。
    
今年初の綺麗な岩木山  樹氷を抱いた松

老人性痴呆疾患治療病棟」のコーナー完成した病棟の建物を掲載
しました。既存病棟の屋上から撮影した3枚の写真を合成して1枚のパノラマ写真にした。自動的に合成写真ができるソフトもあるようだが、フォトレタッチソフトを使用して手動で合成したので、結構、手間が掛かった。左側の継ぎ目ははっきり分かるが、右側の継ぎ目はほとんど分からないだろうと思う。うふふ。



1月8日(月) 成人の日 坂本
  センター試験の模試
 が弘前大学で行われた。長女から弘大まで送ってほしいと頼まれて、車で連れていった。本来は自分でバスに乗っていけばいいことであり、親として甘かった、と反省。(^^;

 みちのく天体写真展終わる
 3日間にわたって開催された写真展も今日が最終日。16時に終了なので、自分のパネルを引き取りに会場に向かった。今日も星仲間とうれしい出会いがあった。去年青森県に引っ越してこられたさんとは、@NIFTYの天文フォーラム(FSPACE)で知り合っていたが、実際にお会いするのははじめて。S山さんも新聞紙上では天体写真を拝見していたが、初対面だ。S山さんは皆既日蝕ファンでもあり、’88年の小笠原洋上ツアー以来、ほとんど毎回のように世界各地に皆既日蝕を追いかけておられる。今年の南アフリカ皆既日蝕にももちろん参加されるとのこと。日蝕ツアーでの成功率は7勝0敗という驚異的な記録は、強運ばかりではなく、緻密なリサーチに基づくもののようだ。ご一緒させてもらうなら、今回も天候に恵まれそうだ。名刺には「アマチュア天文家・写真家」の肩書きがあり、今までの7回の皆既日食の写真がすべて印刷されている。実は私も皆既日蝕の成功率は100%なのだが、2勝だけなので、自慢は出来ない。
 今回の写真展に来てくださった方は、名簿に記載した方だけで130名。記載されない方も多いので、少なくとも150名になるようだ。
 出品した5枚のパネルを外し、弘前の星仲間であるOさん、Dさんの写真の分も受け取って返却に行った。



1月7日(日) 坂本
 津軽断酒会例会 9:30〜 弘前文化センター
 津軽を代表するアルコール依存症の自助グループのひとつである、津軽断酒会の例会に出席させていただいた。冬で交通事情が悪いこともあってか、人数はやや少ないようだったが、真剣な体験発表に耳を傾けた。

 みちのく天体写真展 弘前文化センター展示場にて
 聖愛高校の藤田栄一先生を中心とする「みちのく天文愛好会」などの主催する天体写真展が6(土)〜8(日)まで開かれており、私も5点ほど出品していたこともあり、様子を見に行ってきた。青森アストロネットワークなどでオンラインでは親交のあった方とも実際にはじめてお目に掛かることもできた。

 しばらくすると、妻、長男、長女もやってきた(次女は水疱瘡のために留守番をしている)。今日は大学生の長男が東京に戻る日なのだ。弘前バスターミナルまで送り届けた。せっかく初めて正月に帰省したのに、5人揃ってご馳走を食べに行く機会もなかったのは親として寂しい気がするが、息子は彼なりの交友関係を楽しんだようだった。



1月6日(土) 坂本
 レセプト点検
 月初めにはレセプト(診療報酬請求書)の内容と病名点検を行うのが医事課と医局の業務となっている。これをきちんとしないと、せっかく診療行為を行っても未請求になったり、逆に過剰請求とされて減点査定されることがあるので、気を抜くことができない。診療行為の内容と病名の不備を医事課職員に指摘してもらい、病名を記載していく。本来であれば、診療行為を行う度に記載するのが原則ではあるが、忙しい日常診療の間に全てを記載するのは不可能に近いので、不足分を翌月にまとめて記載するのだ。受持ち患者数によっても、掛かる時間が異なるが、私の場合、1時間程度で終了した。

 臨時理事会 14:00〜泉谷会館にて
 昨年末の定例理事会で結論を出せなかった案件について、臨時で再度議論を行った。案件というのは、職場保育園である「たんぽぽ保育園」を認可保育園に申請するにあたって、設立予定の社会福祉法人に土地を無償譲渡する、という提案である。津軽保健の経営が厳しい中で、津軽保健所有の土地評価額の1割近いものを譲渡することの経営的負担はありながらも、認可保育園で公的援助が得られることで、毎年五千万円に上る持ち出しがなくなることのメリットが大きく、その社会福祉法人と連携しながら新たな分野に進出するための先行投資と考えることで、理事会としては承認し、臨時総代会に提案することとなった。
 理事会新年会
 会議に引き続いて、新年会が同じ会場で行われた。理事長挨拶や各理事の「一芸披露」で大いに盛り上がった。ふつう、新年会の前の理事会、となると「シャンシャン」で短時間で終わるのだろうが、1つの案件に3時間近くも掛けて真剣な議論を行う、というのは、津軽保健はまじめだなぁ。



1月5日(金) 坂本
 正月明けの外来は、、
 私はアルコールと禁煙外来を専門に行っているのだが、以前は「盆、正月明け」症候群といって、お盆明け、正月明けというのは、大量に飲酒してしまって、入院を希望するアルコール依存症の患者さんが多かったものだ。最近は、お盆とか正月に関係なく飲酒するせいか、盆明け、正月明け、といっても普段とは変わらないことが多くなってきていた。
 ところが、今年の正月明けは今日だけでアルコール関係の患者さんが3人入院となった。じつはもう一人の方も入院希望だったのだが、ベッドの都合で入院できず、外来で待機していただいた。また、別のアルコールの新患の方も見えて、昨夜まで「振戦せん妄」で入院した方が良い方だったのだが、通院にさせていただいた。
 3名の方の入院カルテを仕上げたのが22:30頃。ふー。

 昨日アップした「オアシス」病棟の内部の様子の一部を修正した。 



1月4日(木) 坂本
 仕事始め
 5日間の正月休が終わり、今日から21世紀の病院業務が始まった(日当直を除くと)。医局の朝の会で正月休の間の申し送りを終えると、病院の朝の会の時間。体育館に急ぐと、「オアシス」の新しいスタッフの紹介が始まっていた。カラフルなジャージーのユニフォームを着て颯爽としている。介護職のスタッフを中心に若い人が多くて新鮮だ。
 私は院長として新年の挨拶を述べた。新しい21世紀を迎えて、自分達の仕事を見直すときが来ている。「患者さん」と呼ぶのが良いのか、「患者様」と呼ぶべきか、サービス業としての医療のあり方を原点に立ち戻って考え直す1年にしたい、ということを話した。

 「オアシス」病棟オープン
 いよいよ新病棟が開設となった。今週は、既存の病棟の入院患者さんの移動(転棟)のみで、新入院の患者さんは来週から予約となっている。今日の患者さんの転棟は第一次で3つの病棟から合計10名。当分の間はスタッフの人数のほうが多いという恵まれた環境となるが、それでも病棟ははじめてのことが多くて、てんてこ舞いをしていた。
 私は総婦長から依頼されて、「オアシス」スタッフの顔写真をデジカメで撮影。胸に付ける名札に顔写真を入れるためだ。患者さんに早く、顔と名前を覚えてもらおう、という意味もある。これから夜勤や時間差勤務が始まるので、ほぼ全員が集まる機会は滅多にないので、記念写真も撮影した。22名のスタッフが集合した。
 夕方から、昨日撮影した「オアシス」病棟の内部の様子を一覧にしてアップしたのでご覧頂きたい。スタッフによると、実物よりも綺麗に撮れているという。(^^;



1月3日(水) 日当直 坂本
 正月休みの最後は日当直であった。
 正月明けではあっても、明日からいよいよ痴呆病棟(第4病棟「オアシス」)の開設とあって、病棟スタッフは最後の準備のために、正月休みを返上して仕事をしていた。明日からは患者さんが入って、プライバシーの関係から建物内部の撮影は難しくなるので、デジカメで内部を撮影しておいた。


1月2日(火) 正月休 坂本
 ほとんど一日中、年賀状書きに追われた。


1月1日(月)元旦 坂本
 新年明けましておめでとうございます。いよいよ21世紀の幕開けですね。
 ということは実は第3ミレニアム(千年紀)の始まりでもあるわけだ。昨年は2000年ということで新ミレニアムとか騒がれたが、新世紀が01年から始まるなら、ミレニアムも001年から始まることになるのだ。これは世界の暦や時刻、うるう年などを管理しているグリニッジ天文台の公式見解。
 とはいうものの、実は私も昨年の年賀状に"a happy new millennium" って書いて勇み足をしてしまったのだ。
 年賀状といえば、私は毎年、天体写真を絵柄に使用している。ところが、昨年は天候不順で、ほとんどまともな天体写真が撮れなかった。それで、思案しているうちに年が明けてしまったのだが、フィルムを整理していたところ、固定撮影だが木星と土星がおうし座に集合している写真が出てきた。昨年9月におうし座のα星(アルデバラン)、木星、土星が直角三角形に並んでいるところを撮ったものだ。サン=テグジュペリ作「星の王子様」の表紙にある大きな星3つは直角三角形をしているが、それはちょうどアルデバランと2大惑星が並んでいるところを描いたものだ、という説を昨年、あるアマチュア天文家が発表したという。
 木星の公転周期(太陽を一回りする時間)は12年、土星は30年である。その最小公倍数は60となるので、60年に1度、同じ天空上で木星と土星が出会うことになる。2000年におうし座で出会っているので、その60年前の1940年にもおうし座で木星と土星が出会っていることになる。「星の王子様」が出版されたのが、その直後なので、サン=テグジュペリは、1940年に見たその3つの星を表紙に描いたのだろう、というのだ。これは多分、正しいだろう。
 その説を拝借して、今年の年賀状の題は「サン=テグジュペリの見た星空」ということにした。

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