育子さんは精神的なハンディを持って入院中でした。いつもは人懐っこい人なのですが、何かストレスがあるとひょう変し、暴れたり、家族に暴力を振るったりしてしまいます。トラブルもなく、ちょっとといい感じだなと思って外泊しても、家の人とけんかして帰院し、看護婦さんや主治医にこってり絞られます。そしてまたパニックになり、自分を傷つけたり、落ち込んだりしてしまう不器用なところのある患者さんでした。
そんな育子さんですが、音楽がとても好きでした。わたしは主治医ではなかったものの、歌の会の係だったので、結構お付き合いをしていました。
ある日、育子さんはわたしに「禁煙したいのだけれど、どうしたらよいですか」と相談にみえました。看護婦さんは「いつものいい子ぶりっこだ」と全く鼻にも引っ掛けなかったのですが、育子さんの悩みはわたしには真剣に思えました。そこでわたしは、育子さんの禁煙のお手伝いをすることに決めました。
まずは行動療法です。たばこから逃げること、たばこの禁断症状の乗り越え万を育子さんに繰り返しお話しました。育子さんも会うたびにたばこのことを聞きました。
でも育子さんの訴えに深みはなく、その場限りに見えました。にこにこ笑いながら喫煙室に入って行ってしまうのです。目の前にたばこがあっても吸わないでいられるようでなけれは、病院という保護的な環境を出てから禁煙を続けることなんてできるはずはありません。でも何とかして育子さんの尊い決心のお手伝いをしたいわたしには、喫煙室が病院内にあることがとても悩めしく思われました。
精神科には自我機能に障害があり、環境依存性が高い側面がある患者さんがいます。そんな方にとって目の前にたばこがあるのに吸わない練習をすることは、ことのほか難しいことでした。病院内の分煙や禁煙へのサポート体制が進んでいても、育子さんは照れ笑いを浮かべながら喫煙室の中にいました。